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安史の乱 安禄山は巨額の賄賂を使い唐王朝中枢に入り込む、カルルクらと共に独立国を作ろうとする

安禄山はどのようにして玄宗皇帝に近づいたか

安史の乱を起こした安禄山はソクド人と匈奴の混血だといわれています。

いくら長安は国際都市とはいえ、漢民族でもない安禄山が唐宮廷に入り込むにはいろんな人に賄賂をばらまく必要があったはずです。

それも、玄宗皇帝や楊貴妃の寵愛を受けた、どうしてか?

一般に語られているように話がうまかったではないはずです。

玄宗皇帝や楊貴妃にとんでもないうまみを与えてくれたからのはずです。

多額のお金、貴重な品物を与えてくれたと思います。

そのため臣下が度々安禄山は危険だといっても、玄宗皇帝は安禄山を遠ざけられませんでした。

単なるソクド商人ではなく、その規模はソクド商社

ペルシア系の民族ソグド人は、現在のウズベキスタンとタジキスタンに跨るソグディアナ地方が故郷です。

「ソグド商人」「隊商の民」と呼ばれ、シルクロードの交易を担い、シルクロード沿いに拠点を築きました。

イラン・インド・カスピ海・中央アジア・モンゴル平原、中国などです。

長安で仕入れた商品は最低でも250倍の値段で西方社会で売れたそうです。

ソクド人中国拠点の仕事は、唐王朝に入り込んで、役人を抱き込むことだったでしょう。

ソクド商人というよりもソクド商社だったと思います。

そうすれば、仕入れも安価に多量にできます。

そこで得たお金をさらに賄賂に使えば、皇帝だって抱き込めます。

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皇帝を抱き込めば、さらに仕事がやりやすくなります。

ソクド人、アッバース朝に包囲される

ソグディアナは5世紀には栄えていましたが、722年アッバース朝の軍勢に包囲されました。

以後およそ50年間、その支配を受けましたが、8世紀末には町は放棄され、住んでいたソクド人はいなくなりました。

ソクド人はどこにいってのでしょうか?

唐とアッバース朝どっちにつくか

751年、唐とアッバース朝がタラスで、戦いました。

この戦いは、ソクド人と近い遊牧民族のカルルクの裏切りのため、唐の敗北に終わりました。

カルルクは唐に服従していた遊牧民族です。

が、この機会に唐を叩いた方が、自分たちが独立?(有利になる)と踏んだので裏切って唐軍を全滅させました。

多分、その情報をソクド人が知っていたのではないかと思います。

安史の乱の目的は

アッバース朝に支配されたソクド人は彼らと彼らにに近い民族による王国を、中国につくりたかったのではないでしょうか

安史の乱は755年に起こって、実際「燕国」が立ちました

 

 

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