唐王妃であった沈珍珠は史実
沈珍珠(726年~?)は、吴兴(現在の浙江省湖州市)出身の漢民族。
伯父は唐の書法家、父は高級官僚。
世代を通じて役人で、名家の生まれ。
沈氏は身長が高く、肌が白い女性であったそうです。
良家の娘として選ばれ、皇長孫である李俶に与えられました。
李适を産んだ時期はドラマと史実は異なる
742年、広平王李俶の子、李适(後の唐徳宗)を産みました。
ドラマでは、安禄山の乱の時に李适を産んでいますが、実際は違うようです。
安史の反乱軍に捕らえられる沈珍珠は史実
756年、安禄山が反乱を起こして長安に迫った時、唐玄宗は楊貴妃と共に皇子や皇孫、皇子の妃や皇孫の妃を伴って逃亡しました。
皇太子の李亨なども同行しましたが、沈氏や一部の皇族は間に合わず、安史の反乱軍に捕らえられ、洛陽に囚われました。
ドラマでは安慶緒が沈珍珠を愛している
ドラマでは、隠れていた沈珍珠を安慶緒が捕まえにきます。
沈珍珠と一緒になりたいと願った安慶緒でしたが、父親の安禄山は許しません。
安禄山は沈珍珠を処刑しようとしましたが、安慶緒が助けます。
安慶緒が安禄山を殺す理由の一つに沈珍珠を安禄山が夜伽にめそうとしたからとなっています。
実際はこの時、沈珍珠と安慶緒が関係を持ったのか、全くわかりません。
史実、沈珍珠は洛陽で李俶と再会した
756年、広平王李俶は洛陽を奪回しました。
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反乱軍に一年以上掖庭宮に監禁されていた沈珍珠と再会しました。
しかし長安周辺では動乱が絶えず、盗賊が横行し、食料が乏しくなり、人間が人間を食べる状況まで発生しました。
これに加えて、チベットの侵攻圧力もありました。
広平王李俶は沈珍珠の安全を考慮し、長安に迎えることはせず、彼女を洛陽宮に住まわせることにしました。
私が思うに、何もなかったかもしれなくても、安慶緒と関係したのではないかとどうしても疑われてしまいますので、自分の息子(後の唐徳宗)に迷惑がかかると思って彼女自身も洛陽に留まることを選んだと思います。
史実、洛陽再び陥落し、沈珍珠は行方不明になった
しかし、洛陽は再び史思明によって陥落しました。
史実では、洛陽陥落の前に広平王李俶は、部下を派遣して沈珍珠を救い出そうとしました。
部下は洛陽城が空になったと報告していますが、沈珍珠についてはわからなかったようです。
ドラマでは安慶緒が沈珍珠をさらう
ドラマでは、洛陽を脱出した沈珍珠を広平王李俶の目の前で安慶緒がかっさらっていきます。その後安陽の城に連れていきました。
史実、李俶、洛陽を奪回。しかし沈珍珠は見つからなかった
762年、広平王李俶は洛陽を奪回しましたが、沈珍珠の行方はわかりませんでした。
広平王李俶、沈珍珠、安慶緒の真実の感情など、真実の状況はおそらく当事者だけが知っている永遠の秘密です。