耶律罨撒葛の史実
耶律罨撒葛(934年 – 972年)は、上京临潢府(現在の内モンゴル自治区巴林左旗)出身、契丹族。
辽太宗耶律德光の次男、母は靖安皇后萧温。
939年に太平王に封じられました。辽穆宗が即位し、国政を委ねられました。
彼は萧胡辇を娶りました。
しかし、兄の統治に不満を持ち、953年反乱を企てたため拘束されてた罪で西北の辺境防衛の地位に降格されました。
969年辽景宗が即位しました。
沙陀に逃亡しましたが、呼び戻され、以前の罪が赦され、齐王に封じられました。
972年に病気を発症し、亡くなりました。享年39歳。
翌月、皇太叔に追贈されました。
ドラマ燕雲台との違い
景宗が即位宣言するときには、西北の辺境にいたので、やはり間に合わなかったと思うし、
黒山に攻め入った史実はないようです。
それと、最後はあっけなく病死ですので、色々悪巧みをしたり皇位簒奪は考えてなかったのかもしれません。
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