はじめに:フィクションと史実の境界線
近年、中国で大ヒットした歴史ドラマ「三国機密」(日本では「三国志 Secret of Three Kingdoms」として放送)では、後漢の献帝・劉協に双子の弟・劉平がいたという設定で物語が展開されました。この”双子の兄弟がいた”という解釈で描かれた中国の大ヒット小説がドラマ化され、中国では動画再生回数30億回を超えた大ヒット作品となっています。
しかし、これは明らかに創作であり、史実の後漢末期に献帝の双子の弟など存在していませんでした。では、なぜこのような設定が生まれたのでしょうか?その背景には、実際に『後漢書』に記録されている劉平という人物の存在があったのです。
創作の原型:『後漢書』の劉平
劉平の史実
劉平は、新末後漢初の官僚で、字は公子。父は劉祉。本貫は楚郡彭城県でした。『後漢書』は、古代中国後漢朝について書かれた歴史書で、二十四史の一つ。紀伝体の体裁を取り、本紀10巻・列伝80巻・志30巻の全120巻からなる。「本紀」「列伝」の編纂者は南朝宋の范曄によって編纂されました。
劉平は光武帝時代の人物として、後漢書に記録されています。彼は単なる地方官僚ではありましたが、その人徳と忠義で知られていました。
劉平の感動的なエピソード
史実の劉平には、中国の伝統的な価値観である「忠・勇・直・忍・義」を体現する感動的なエピソードが残されています:
家族への犠牲的愛情
更始帝のとき、劉平の弟の劉仲が反乱軍に殺された。後に反乱軍はまた再びやってきたため、劉平は母を助けて避難逃亡した。劉平は劉仲の幼い娘を抱えていき、自分の子を捨てていった。母が子を取り返そうとしたが、劉平は聞き入れず、「両方を生かすことのできる力がないなら、劉仲の子孫を絶やすことはできない」といって顧みなかった。
このエピソードは、血縁への責任感と家族愛を示す代表的な物語として、中国の伝統的な価値観を体現しています。
信義を貫く精神
劉平は朝に食を求めて出て、飢えた反乱兵に遭遇した。劉平は叩頭して、「今朝は老母が食事を求めて私を待っております。願わくば先に帰って母に食べさせたなら、戻ってきて死にましょう」といって泣いた。反乱兵は哀れに思って劉平を帰させた。劉平は母に食べさせ終わると、反乱兵のもとに出頭した。反乱兵は驚いて「常に烈士のことを聞くが、今ここに見る」といって、無事に帰らせた。
この逸話は、約束を守る信義と母への孝行を同時に示した美談として語り継がれています。
主君への忠義
29年(建武5年)、平狄将軍の龐萌が彭城で反乱を起こし、楚郡太守の孫萌を攻め破った。ときに劉平は再び郡吏となっていたが、孫萌の身の上に伏せてかばい、白刃を受けて7カ所の傷を負った。号泣して「願わくば身をもって府君に代わらん」と叫んだ。
さらに感動的なのは、孫萌は傷がひどく、いったん気絶して意識を回復すると、渇きのため飲み物を求めた。劉平は自分の傷を傾けてその血を飲ませたという場面です。これは主君への究極の忠義を示すエピソードとして記録されています。
劉平のその後の栄達
後に劉平は孝廉に察挙され、済陰郡丞に任じられた。太守の劉育に重んじられ、上書推薦された。その後、明帝の初年、劉平は王望や王扶とともに尚書僕射の鍾意に上書推薦された。議郎に任じられ、たびたび明帝の引見を受けた。2回転任して侍中となった。60年(永平3年)、宗正に任じられ、名士の承宮や郇恁らを推薦して出世させた。
広告
なぜ「双子の弟」設定が生まれたのか
名前の共通点
「三国機密」の作者が劉平という名前を選んだのは偶然ではありません。史実に劉平という人物が存在し、しかも彼が後漢の光武帝時代に生きた忠義の士だったからこそ、この名前が選ばれたのでしょう。
中国文学の伝統的手法
中国の歴史小説では、史実の人物や出来事をモチーフにして、新しい物語を創造する手法が古くから用いられています。「三国機密」も、原作はネットの世界でSFから歴史物までベストセラーを量産し続ける中国の人気作家、「ネットの鬼才」マー・ボーヨン(馬伯庸)の小説「三国機密」であり、史実の劉平のエピソードからインスピレーションを得た可能性が高いでしょう。
理想的な皇帝像の投影
史実の劉平が体現した「忠・勇・直・忍・義」の精神は、まさに理想的な皇帝が持つべき資質でもあります。作者は、献帝という歴史上では傀儡皇帝として描かれがちな人物に、劉平の持つ高潔な精神を投影することで、新しい三国志の物語を創造したのです。
史実と創作の価値
史実の劉平の意義
史実の劉平は、乱世にあって人間として最も美しい徳性を示した人物として、後漢では親孝行を為した民衆を称揚したりする政策の中で、模範的な人物として称えられました。彼の生き様は、儒教の優位性が確立された後漢社会において、理想的な人格の典型として位置づけられています。
創作作品としての「三国機密」
一方、「三国機密」は史実とは異なるフィクションでありながら、大胆な設定と史実を融合させた、知られざるもう一つの「三国志」を描く歴史大作として、多くの人々に感動を与えています。
まとめ
後漢の献帝に双子の弟がいたというのは、あくまで現代の創作です。しかし、その創作の背景には、実際に『後漢書』に記録されている劉平という高潔な人物の存在がありました。
史実の劉平は、家族への愛、信義への忠実さ、主君への忠義という、中国の伝統的価値観を体現した人物として、後世まで語り継がれています。現代の創作者たちが、この劉平の名前と精神を借りて新しい物語を紡いだことは、むしろ史実の劉平の人格の素晴らしさを現代に蘇らせた意味があるのかもしれません。