キングダムでの昌平君
昌平君は、秦軍の天才軍師。
嬴政と権力争いを繰り広げている相国・呂不韋陣営の“呂氏四柱”のひとり。
しかし、嫪毐の反乱では、昌平君は昌文君とともに反乱軍を討伐することを宣言し、
呂不韋陣営から離反する。
史実の昌平君
昌平君は戦国時代末期の楚の王子で、秦の宰相を務めた後、秦に反旗を翻して楚の最後の王となりました。
楚の王族であった昌平君は、秦で育ち、同じく楚出身の華陽太后に愛され、次第に名を上げていきました
秦の国で荘襄王と秦の始皇帝を助け、嫪毐の反乱を鎮めたことから、秦の宰相に任命されました。
しかし、秦の始皇帝が楚の民を平定するために彼を楚に派遣した後、
紀元前225年で秦に反旗を翻しました。
その後、昌平君は楚王に即位し、楚南部で秦に反抗し続けました。
しかし、結局秦の攻撃により、昌平君は敗死しました。
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