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論語に学ぶ「義と勇」「媚びへつらい」と「勇気のなさ」ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」

はじめに

中国ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」で、伏寿たちが囚われたことを聞き、計略とは知らない学生たちが立ち上がろうとする場面。そこで引用されたのが「義を見て為さざるは勇無きなり」という論語の名言でした。

この一節は、実は『論語』第二章「為政篇」第24章に収められた孔子の教えです。2500年の時を超えて、現代の私たちにも鋭い問いを投げかけています。正しいことを知りながら行動しない、それは本当に勇気の欠如なのでしょうか。

論語「為政篇」第24章の原文と意味

原文

子曰、非其鬼而祭之、諂也。見義不為、無勇也。

読み下し文

子(し)曰(のたま)わく、其(そ)の鬼(き)に非(あら)ずして之(これ)を祭(まつ)るは諂(へつら)いなり。義(ぎ)を見(み)て為(な)さざるは、勇(ゆう)無(な)きなり。

現代語訳

孔子が言われた。「自分の祖先でもない霊を祭るのは、媚びへつらいである。正義だと知りながら行わないのは、勇気がないのだ。」

この章句は二つの部分から構成されています。前半は「へつらい」について、後半は「勇気のなさ」について述べており、どちらも心の中にある妄想や執着が原因だと理解することができます。

孔子が語った「義」と「勇」の本質

論語における「義」は、単なる正義感ではありません。孔子は義を「仁」と「礼」の要件を満たすものとして定義しています。つまり、人としての思いやり(仁)と、社会における適切な行動(礼)が調和した状態こそが「義」なのです。

現代風に言えば、個人の良心と社会的責任が一致したときに生まれる「なすべきこと」と理解できるでしょう。

真の「勇」とは

孔子の説く「勇」は、肉体的な勇敢さを超えた概念です。道徳的に正しいこと、適切なことに直面したときに、それを避けたり無視したりすることを選ぶのではなく、勇敢に立ち上がり、責任を取る能力である。それは道徳的な勇気、つまり正しいことのために立ち上がる精神力を指します。重要なのは、この勇が「仁・義・礼・智」と合致していなければ真の勇ではないということです。

単なる向こう見ずな行動ではなく、思慮深く、人間愛に満ち、礼節をわきまえた上での果敢な行動こそが真の勇なのです。

「鬼」と「諂い」の現代的解釈

論語の原文で、孔子はまず「非其鬼而祭之、諂也」(自分の祖先でもない霊を祭るのは、媚びへつらいである)と述べています。ここでいう「鬼」は人の霊魂、つまり祖先の霊を指します。

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現代に置き換えれば、本心ではない行動を取って他者の歓心を買おうとする行為すべてが「へつらい」に該当する

内なる妄想と執着を手放す

恐れの正体

なぜ私たちは正しいことを知りながら行動できないのでしょうか。その根本原因は、心の中にある妄想や執着にあります。

  • 他者からの評価への執着
  • 失敗への恐れ
  • 現状維持への安住
  • 責任を負うことへの回避

これらの執着が強ければ強いほど、外界からの承認を求め、結果的に自分の本来の力を発揮できなくなってしまいます。

外界への依存という悪循環

なぜ私たちは「へつらい」や「勇気のなさ」に陥ってしまうのでしょうか。その妄想や執着が外に向けられれば向けられるほど、外界からの要求が強くなり、外界への依存が強くなるという悪循環が生まれます。

外界に依存しすぎるということは、外界からの助けを必要としすぎるということです。他人の承認なしには動けない、周囲の評価がなければ自分の価値を見出せない。この状態では、本当の「義」を見極めることも、「勇」を発揮することもできません。

「へつらい」も「勇気のなさ」も、結局は外界への過度な依存から生まれる現象であり、真の自立とは外界からの評価や承認に頼らずに、自らの内なる道徳的基準に従って行動できる状態をさします。

へつらえば、ほめられた、だからもっとへつらおう、というような悪循環を断ち切ることが、孔子の説く「義」と「勇」の実践につながるのである。

依存からの脱却

外界への過度な依存は、真の自立を阻害します。他人の評価に左右され、周囲の期待に振り回される生き方では、本当の「義」を見極めることも、「勇」を発揮することもできません。

孔子が目指したのは、内なる道徳的基準に従って行動できる人格の形成でした。それは決して孤立を意味するのではなく、真の意味で他者と調和できる強い個人の確立なのです。

現代社会での組織と個人におきかえてみる

現代社会では、個人の「義」と組織の論理が対立することがしばしばあります。しかし孔子の教えは、真の勇気とは単なる反抗ではなく、より大きな調和を目指すものだということを示しています。

建設的な批判、代案の提示、対話を通じた理解の促進など、破壊ではなく創造を通じて「義」を実現する道があるはずであると読むことができます。

 

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