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易経・乾卦の龍——潜龍勿用から飛龍在天、そして亢龍有悔まで

> ※前に、乾隆帝の書をみて奢(おご)りをかんじていました。乾隆の「乾」は、易経のいちばん最初の卦(か)・**乾**そのものです。そしてこの卦は、一匹の龍が昇りつめ、昇りつめすぎて落ちるまでを、六本の線で描いている。ドラマ「三国機密」もこれを下敷きにしています。

## 易経とは——「変化」を六本の線で読む書

『易経(えききょう)』は、古代中国の占いの書であり、同時に、世界の変化の理(ことわり)を説いた哲学書です。四書五経の一つで、孔子も晩年に愛読し、「韋編三絶(いへんさんぜつ=綴じ紐が三度切れるほど読んだ)」と伝わります。

その仕組みは、意外なほどシンプルです。世界を陰(‑‑)と陽(—)の二つの気で捉え、それを六本、積み重ねる。すると 2の6乗=**六十四通り**の形(卦)ができる。この六十四卦が、天地・人生・政治の、あらゆる局面を映す、というわけです。

そして、その**いちばん最初に置かれたのが「乾(けん)」**。六本すべてが陽(—)の、純粋な陽の卦です。乾は「天」を表し、その象徴が——**龍**。乾卦の総論「象伝」は、こう言います。「**天行健、君子以て自強して息(や)まず**(天の運行は力強い。君子はそれにならって、努め励んで、やまない)」。この「自強不息(じきょうふそく)」こそ、乾卦の魂です。

> **「乾」という字について** この「乾」、じつは顔が二つあります。日常でおなじみの**カン=乾く**(乾燥・乾杯)と、ここでの**ケン=天**。同じ字でも、まるで意味が違います。ケンの「乾」は、天であり、力強さ(健)であり、龍であり、父であり、君主。相方は、全部が陰でできた**坤(こん=地・母)**で、二つ合わせた「**乾坤(けんこん)**」が、天地=世界そのものを指します(「乾坤一擲」の乾坤です)。——ちなみに、清朝の乾隆帝の「**乾**」は、まさにこの卦の名。元号「乾隆」は「乾(天)、隆(さかん)」=「天の道が盛んに栄える」という願いでした。龍が天を翔ける卦の名を背負って飛龍在天をきわめ、その同じ卦に書かれた亢龍有悔(後述)へ落ちていった——彼は、名前からして飛龍と亢龍を一つに背負っていた人でした(→「[乾隆帝——名君か暗君か]」)。

面白いのは、この卦が、龍の**六つの段階**で、その「力強さ」の一生を語ること。下の線から上へ、順に昇っていきます。ドラマ「三国機密」にあった蛟龍が水を得る→飛龍在天→雲が動く」という流れも、この中にすべて入っています。順に見ていきましょう。

## 第一爻・潜龍勿用(せんりゅうもちいるなかれ)——まだ、動くな

いちばん下の線(初九)は、こうです。

> **潜龍、用うる勿(なか)れ。**

淵(ふち)の底に、龍がひそんでいる。力はある。けれど、まだ時ではない。だから「用いるな」。世に出るのを焦らず、名を求めず、じっと己を養う段階です。文言伝は、この龍を「**龍徳ありて隠るる者なり**」と讃えます。世に認められなくても悶(もだ)えない、確かな徳を秘めた雌伏(しふく)の時。——あらゆる英雄の物語が、ここから始まります。

## 第二爻・見龍在田(けんりゅうざいでん)——地上に、姿を現す

次の線(九二)で、龍はついに水面へ顔を出します。

> **見(あらわ)れたる龍、田に在り。大人(たいじん)を見るに利(よ)ろし。**

淵から地上へ。世間が、その存在に気づきはじめる。まだ天を翔けるには早いけれど、「田」に現れて、少しずつ徳を広めていく。ここで良き師や引き立て役(大人)に出会えるかどうかが、その先を分けます。

## 第三爻・終日乾乾(しゅうじつけんけん)——昼も夜も、気をゆるめない

三番目(九三)は、龍の姿がいったん消えて、人の話になります。

> **君子、終日乾乾(けんけん)、夕べに惕(おそ)るること若(ごと)し。厲(あや)うけれど咎(とが)なし。**

「乾乾」とは、休みなく努め励むさま。昼は一日じゅう奮闘し、夜になっても警戒を解かない。危うい局面だけれど、この緊張を保てば、災いはない。——じつはこの「**乾乾**」の二字が、乾隆帝の名の由来にもつながる、乾卦のキーワードです。頂点の前に必ず、この「気を抜けない中間の踏ん張り」がある。

## 第四爻・或躍在淵(あるいはふちにおどる)——蛟龍、水を得る

四番目(九四)で、龍は跳躍します。「**蛟龍(こうりゅう)が水を得る**」瞬間が、ここです。

> **或(ある)いは躍りて淵に在り。咎なし。**

淵から、飛び上がろうとする。まだ天には届かないが、跳ぶ力は満ちた。進むか、退くか——それを見極める、決断の一歩手前。ちなみに「蛟龍得水(こうりゅうみずをう)」は『管子』の「**蛟龍、水を得て、而して神、立つべきなり**」から来た言葉で、才ある者がついに舞台を得ることのたとえです。三国志では、周瑜が主君の孫権に、劉備を警戒してこう言いました。「**蛟龍、雲雨を得ば、終(つい)に池中の物に非ず**(劉備に土地を与えれば、水を得た龍だ。もう池の中の生き物では収まらない)」。跳ぼうとする龍を、池にとどめておくことは、もう誰にもできない。

## 第五爻・飛龍在天(ひりゅうざいてん)——天を翔ける、頂点

そして五番目(九五)。乾卦の、いちばん輝く一行です。

> **飛龍、天に在り。大人を見るに利ろし。**

龍はついに天を翔け、万物を見下ろす。この「**九五**」の位こそ、皇帝を指す「**九五之尊(きゅうごのそん)**」の語源です。天子は、六段階のいちばん上ではなく、**上から二番目**に置かれている——これが、あとで効いてきます。

「**風雷雲動**」も、まさにこの飛龍の段階のこと。文言伝は、龍が天を翔けるときの天地の呼応を、こう歌います。

> **雲は龍に従い、風は虎に従う。聖人作(おこ)りて万物睹(み)る。**

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龍が昇れば雲が湧き、虎が吼えれば風が起こる。傑物が立てば、天下万物がそれを仰ぎ見る。——頂点とは、自分ひとりが輝くことではなく、世界がそれに呼応して動きだすこと。ドラマ「[三国機密]」で曹操が「飛龍在天」を口にする場面の重みも、ここにあります(→「[飛龍在天——天地人と七徳の武]」)。

## 第六爻・亢龍有悔(こうりょうゆうかい)——昇りすぎた龍は、悔いる

ところが、乾卦は飛龍で終わりません。その上に、もう一段だけある。これが、前に話した「下り龍」です。

> **亢(たかぶ)れる龍、悔い有り。**

「亢」とは、昇りつめて、もう上がない状態。天のさらに上へ行こうとした龍は、行き場を失い、あとは落ちるしかない。だから「悔い有り」。その小象伝の一句が、すべてを言い切っています。

> **亢龍有悔、盈(み)つれば久しからざるなり。**

満ちたものは、長くは続かない。——頂点そのものの中に、すでに落日が仕込まれている。飛龍在天と亢龍有悔は、たった一本、線がちがうだけ。**頂点の、すぐ隣が、転落**なのです。

そして文言伝は、「亢」とは何かを、恐ろしいほど的確に定義します。

> **亢の言たるや、進むを知りて退くを知らず、存するを知りて亡ぶを知らず、得るを知りて喪(うしな)うを知らざるなり。**

進むことしか知らず、退くを知らない。手に入れることしか知らず、失うことを知らない

……これはもう、乾隆帝の後半生の、そのままの肖像です。名画に落書きし、玉に逆さ署名し、「領土も文化もすべて我が物」と刻んだあの姿は、まさに「**得るを知りて喪うを知らず**」(→「[玉圭・璧・鉞]」の乾隆の逆さ署名)。飛龍のつもりで、彼はもう、亢龍だった。奢りとは、易の言葉でいえば「亢」なのです。

## 第七の智慧・用九(ようきゅう)——「首(かしら)に成らない」龍

では、龍は必ず亢龍になって落ちるのか。乾卦は、最後にもう一つだけ、抜け道を用意しています。六本の線のあとに置かれた、特別な一行「用九」です。

> **群龍の首(かしら)無きを見る。吉なり。**

たくさんの龍がいて、しかも「先頭に立ってやろう」という頭(かしら)がいない——それが吉だ、と。文言伝はこれを「**天徳は首(かしら)と為るべからず**」と言い換えます。いちばん上に立って、そこに居座ろうとすること、それ自体が危うい。頂点に固執しない者だけが亢龍有悔を免れる。

飛龍の位に昇っても、そこに固執せず、退くべき時に退ける者——文言伝いわく「**進退存亡を知りて、其の正を失わざる者は、其れ唯だ聖人か**」。亢龍有悔を免れる道は、ただ一つ、**頂点にしがみつかないこと**だけなのです。

## 私の見立て——「盈つれば久しからず」は、天命の別名

乾卦の龍の一生は、そのまま、これまで書いてきたいくつもの物語の「設計図」になっています。

臣下が功を立てすぎて主君に消される「[功高震主]」(信陵君)は、飛龍が亢龍になる瞬間そのもの。

尉繚が見抜いた「[金が大きくなりすぎた臣下は、王に消される]」(呂不韋・和珅)も、亢龍有悔の経済版です。

そして王朝の「[天命]」が、徳を失った家から次の家へ移っていく易姓革命も——結局は「**盈つれば久しからず**」の、国家サイズの表れにほかなりません。伝国璽が千年さまよって炎に消えたのも、龍が一巡したからです。

易経のいちばんの凄みは、**頂点を祝うと同時に、その頂点に「もう落ちるぞ」と釘を刺してある**ところだと、私は思います。飛龍在天のとなりに、必ず亢龍有悔を置く。勝者に「おめでとう」と言いながら、同じ息で「驕るな」と囁く。——だからこの卦は、三千年たっても、権力を手にした人間の急所を、静かに突きつづけているのです。

## おわりに——「おごれる人も久しからず」、日本にも同じ龍が

最後に、日本の話を。この「亢龍有悔・盈つれば久しからず」と、まったく同じことを言った日本の名文があります。『平家物語』の、あの冒頭です。

> **祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。**

「盛者必衰」は、盈つれば久しからず。そして「**おごれる人も久しからず**」の「おごれる(奢れる)」は——私が乾隆帝に感じた、あの「奢り」であり、易のいう「亢」そのものです。

海を隔てた中国の易経と、日本の平家物語が、まったく同じ龍を見ていた。昇りつめた者は、その頂点で、もう落ちはじめている。

人がこの理から自由になれないからこそ、東アジアは千年ものあいだ、飛龍と亢龍の物語を、手を替え品を替え、語り継いできたのでしょう。

私が乾隆の書に見た奢りは、それは、易が三千年前から名前をつけていた「亢」だったのです。

◀ 八卦の源流(神話):[伏羲——八卦・漢字・婚姻を生んだ始祖神]
◀ 龍の名句(ドラマ):[飛龍在天——天地人と七徳の武(三国機密)]
◀ 亢龍の実例:[乾隆帝——名君か暗君か(得るを知りて喪うを知らず)] | [玉圭・璧・鉞(乾隆の逆さ署名)]
◀ 飛龍→亢龍の力学:[信陵君(功高震主)] | [尉繚(金が大きすぎる臣下は消される)] | [呂不韋(奇貨居くべし)]
◀ 盈つれば久しからず=天命:[伝国璽(千年さまよう天命)] | [牧誓・以徳配天]
◀ シリーズ一覧:清朝末期シリーズ 完全ガイドへ

 

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