はじめに
台湾の故宮博物院には、中国史上極めて貴重な宝物が所蔵されています。唐の玄宗皇帝と宋の真宗皇帝が封禅の儀式で使用した「封禅玉冊」です。この玉冊は、単なる歴史的遺物ではなく、中国古代の政治哲学を体現する重要な文化財といえます。
封禅玉冊の発見と来歴
『宋史』や『宋会要』などの文献によれば、封禅玉冊には数奇な運命がありました。
北宋の太宗は、太平興国年間(976-982年)に唐玄宗の「禅地玉冊」と玉璧が出土したことを受けて、自らも封禅の儀式を行おうと玉冊を制作しました。しかし、宮殿の火事により中止を余儀なくされます。
その後、宋真宗の大中祥符元年(1008年)、皇帝は人々に唐の玉冊を元の場所に埋め戻すよう命じ、その上に壇を築いて禅礼を執り行いました。使用された玉冊は以前の朝廷で用意されていたもので、祝詞を追加するだけで済んだといいます。
時は流れて民国20年(1931年)、馬鴻逵将軍の部隊が蒿里山で爆破された基壇を清掃していた際、五色の土の下に宋と唐の玉冊が埋まっているのを発見しました。馬将軍はこの2つの玉冊をアメリカに持ち帰り、民国60年(1971年)には遺言に従って夫人によって台湾に送られ、蔣介石総統によって故宮博物院に寄贈されました。
現在、歴代皇帝が封禅に使用した玉冊は唐玄宗と宋真宗のもののみが現存しており、特に宋の玉冊は真玉で作られ、完全なセットの象眼が施された貴重なものです。
「敬天法祖」と「以徳配天」の政治哲学
封禅玉冊は、華夏文化における「敬天法祖」「以徳配天」という政治哲学の具体的な表現です。
敬天法祖とは
- 敬天:天を祭ること
- 法祖:先祖の習慣法に従うこと
以徳配天とは 徳に基づいて天と調和することを意味します。これは西周時代に発展した神権政治の学説で、君主の権力は「天」から授けられるという「天命」思想に基づいています。
ただし、この天命は固定的なものではありません。徳のある者だけが天命を受け継ぐことができ、徳を失えば天命も失ってしまうという、革命的な思想を含んでいました。
神権思想の発展背景
商代で頂点に達した神権法思想は、西周の統治者によって受け継がれましたが、重要な問題がありました。天から政権を与えられたと主張していた夏王朝も商王朝も、結局は滅亡してしまったのです。
この矛盾を解決するために、西周は「以徳配天」という新しい神権説を提唱しました。
以徳配天の核心的な考え方
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「天」または「上帝」は特定の一族だけの神ではなく、全ての民族が共有する神であり、その神から与えられた「天命(神権)」が誰のものになるかは、人々を従わせる「徳」を持っているかどうかにかかっているとしました。
統治者が「徳」を失えば天の加護も失われ、新たな「徳」を持つ者が現れてその地位を取って代わる。したがって、天下を統治する者は「以徳配天」すべきであると考えたのです。
統治者に求められる「徳」とは
では、統治者に要求される「徳」とは具体的に何でしょうか。主に次の三つが挙げられます。
- 天を敬うこと
- 祖宗を敬うこと
- 民を保護すること
「明徳慎罰」という法思想
この政治哲学は、当時の法律において「明徳慎罰」という形で具体化されました。
明徳慎罰とは、人々を徳でもって教え導き、刑罰を慎むという考え方です。ただし、これは何でも許すということではありません。厳罰に処すべきは処する。事情を考慮した上で刑罰を与えるという、バランスの取れた司法思想でした。
これは商時代の「何がなんでも刑罰」という硬直的な態度を改めるものでした。
おわりに
封禅玉冊は、中国古代の政治哲学を物語る貴重な証人です。「天」は「民意」に基づくものであり、人間の皇帝の庇護者であると同時に監督者でもある。この思想は、権力の正統性は徳に基づくものであり、民を無視した専制は天命を失うという、民本主義的な要素を含んでいました。
現代の私たちから見ても、権力者は徳を持ち、民を保護すべきであるという「以徳配天」の思想には、学ぶべき普遍的な価値があると思います。日本で言えば、皇室にいだいている国民感情がそれにあたると思います。



