中華人民共和国建国後の満州族政策の変遷は、以下のような流れで進みました
初期の排除から統合へ
当初、革命派は満州族全体を排除する方針でした
しかし後に「五族共和」という考えに転換し、満州族を含めた国家建設を目指すようになりました
その背景には、満州族を排除すると独立運動が起きる懸念があったためです
醇親王家(溥儀)への処遇
溥儀は戦後、特別な配慮を受けました
思想改造を経て、特赦され、公民権を得ました
家族も政府要職に就くなど、優遇されました
これには、満州族を中国に統合するというシンボル的な意味がありました
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肅親王家への処遇
対照的に、肅親王家は復権の機会を与えられませんでした
– 主な理由は日本との関係が深かったためです
– 特に善耆と川島芳子は「漢奸(反逆者)」として否定的に評価されました
– 文化大革命終結まで、家族は迫害を受け続けました
近年の変化
1985年以降、満州族の復権が進みました
満州族人口は優遇政策により急増しました
かつての皇族も、現在では自身の出自を誇りにできるようになっています
ただし、肅親王家については依然として国家レベルでの名誉回復はされていません
このように、同じ満州族の王族でありながら、醇親王家と肅親王家は全く異なる運命をたどることになりました。