張儀は楚に対し商・於の地六百里四方 『商于六百里 shāng yú liù bǎi lǐ』を割譲するから、斉との同盟を破棄して欲しいと口頭で申し入れました。
商・於の地は、秦の国都・咸陽を守る武関に近接した秦の軍事上の要所でした。
「六百里」はおおよそ300キロメートルから600キロメートルです。
楚の懐王は喜んでこれに応じ、斉との同盟を破棄しました。
そして使者に秦に領土を受け取りに行かせましたが、張儀は「私には6里の領地があります。臣有奉邑六里,chén yǒu fèng yì liù lǐそれを大王に献上したいのです」と言いました。
この時中国には各地方によって方言が異なっていたため
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臣有奉邑六里,chén yǒu fèng yì liù lǐ (チェンヨウフォンイーリョウリ)私には六里の領地があります が
商於之地六百里 shāng yú zhī dì liù bǎi lǐ (シャンユージーディーリョウバイリ) もしくは
商于六百里 shāng yú liù bǎi lǐ (シャンユーリョウバイリー)
に聞こえてしまったのでしょうか。
懐王は大いに怒り、秦に対し出兵しましたが、(藍田の戦い)。楚は大敗しました。それにより、楚は2つの都市を秦に割譲し、和平が成立しました。
張儀は強国である斉と楚の同盟を崩した上で楚を叩き、さらに楚から土地を奪って合従を崩しました。