>—よく紹介される「楚の王が方言で”六里”を”六百里”と聞き間違えた」という説は、俗説です。史実(史記)の張儀は、初めからはっきり「六百里」と約束し、目的を果たしたあとで「六里だ」と平然と反故にした。つまり聞き間違いではなく、確信犯の詐術でした。ドラマ『ミーユエ』23話の名場面を、史料から整えていきます。
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事件の背景——斉・楚同盟を、どう崩すか
戦国の中期、秦の東進を阻んでいたのが、斉と楚の同盟でした。二つの大国が手を組んでいるかぎり、秦は迂闊に動けない。そこで秦の宰相・張儀(ちょうぎ)——連衡策(れんこうさく)、すなわち「秦と個別に結ばせて反秦連合を崩す」戦略の第一人者——が、みずから楚へ乗り込みます。狙いはただ一つ、斉と楚を引き裂くことでした。
甘い餌——「商於の地、六百里」
張儀は、領土欲の強い楚の懐王(かいおう)に、こう持ちかけます。
> 楚が斉と断交すれば、秦は商於(しょうお)の地、六百里を献上しましょう。
商於の地は、秦の都・咸陽を守る要衝・武関のそばにある、軍事上きわめて重要な土地。しかも六百里といえば、広大です。懐王は、この餌に飛びつきました。強国・斉との同盟を捨ててでも手に入れる価値がある——そう判断し、ただちに斉と断交。それも、念を入れて斉王をわざわざ罵倒させるほど、徹底的に縁を切ったのです。怒った斉は、逆に秦へ接近しました。張儀の狙いどおり、斉・楚同盟は崩れた。
> 豆知識——「商於」は、あの商鞅の土地 じつは、この「商於の地」は、かつて商鞅(しょうおう)が秦から与えられた領地でした。商鞅はここを与えられて「商君」と呼ばれたのです(→「[商鞅の変法]」)。その商鞅は、法を人々に信じさせるために「徙木立信(しぼくりっしん)=木を移した者に約束どおり褒美を与え、”国は嘘をつかない”と信を立てた」逸話で知られます。ところが同じ商於の地を使って、張儀は正反対のこと——国どうしの信義を、平然と破ってみせた。信を立てた商鞅の土地で、信を壊す張儀。同じ「商」の字が、皮肉に響きます。
反故——「私が言ったのは、六里です」
楚が斉と切れたのを見届けると、張儀は秦に戻り、仮病を使って三か月も懐王を待たせます。「秦は本当に断交を信じたのか」と不安になった懐王は、さらに念押しで斉を罵倒させた。斉と秦の同盟が確定し、もう楚が後戻りできなくなった——そのタイミングで、張儀はようやく口を開きます。
> 臣に奉邑(ほうゆう)六里あり。願わくは大王に献ぜん。
> (私には、六里の領地がございます。それを大王に差し上げましょう。)
楚の使者は仰天して言いました。「私が王から受けた命は、商於の六百里。六里などとは聞いていない」。——だが、もう遅い。六百里が、六里。その差、実に百分の一。とてつもない詐欺でした。
> ⚠「方言で聞き間違えた」説は、俗説です この話には、「張儀は最初から”六里(りくり)”と言ったのに、楚の王が方言のせいで”六百里”と聞き違えた」という、もっともらしい解説がよく付いて回ります。臣有奉邑六里(チェンヨウフォンイーリューリー)が商於六百里(シャンユーリューバイリー)に空耳した、というわけです。面白い説ですが、史実ではありません。史記の張儀は、最初にはっきり「秦、商於の地六百里を献ぜんことを願う」と約束しています。つまり、聞き間違いが起きたのではなく、張儀が意図的に大きな餌を約束し、目的達成後に「六里だった」と白を切った——確信犯です。「聞き間違え」というのは、むしろ張儀が反故にするための、後付けの言い訳にすぎません。そこを取り違えると、話の毒(=約束は破るためにある、という秦の非情さ)が抜けてしまいます。
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楚の報復、そして大敗——丹陽の戦い
騙されたと知った懐王は激怒し、秦へ兵を向けます。しかし、怒りにまかせた戦は、冷静な戦略に勝てません。しかも、頼みの斉という同盟国は、もういない。
紀元前312年、丹陽(たんよう)の戦い。楚軍は秦に惨敗し、将軍・屈匄(くつかい)は捕らえられ、兵八万が斬られた。さらに楚は、要地・漢中(かんちゅう)まで奪われます。怒りに任せて藍田(らんでん)まで攻め込むも、そこでもまた敗北。餌の六百里を欲しがった結果、逆に自国の漢中を失ったのです。
結果——合従の崩壊、連衡の勝利
この一連の策で、張儀は、①斉・楚同盟の破壊、②戦争による楚の弱体化、③漢中の奪取、という三重の成果を、一挙にあげました。反秦連合(合従)の要だった斉・楚のきずなは断たれ、秦を中心とする連衡が、決定的に優位に立ったのです。
> 私の見立て——利を取って、信を失う この話が二千年語り継がれるのは、単に張儀が狡猾だったからではありません。
楚懐王が、目先の利(六百里)に目が眩んで、いちばん大事な信義(斉との盟、そして「国の約束を守る」という土台)を売り渡したからです。
論語に「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」とあります(→[呂不韋]でも触れた一句)。懐王は、まさに「利に喩った」王でした。そして利を取った結果、利(漢中)も信(同盟)も、両方失った。
一方の秦は、「約束は破るためにある」という非情さを持てる国だった。
徳でも天命でもなく、術数と、信を破る度胸で勝つ——これは、商鞅の法、尉繚の「力と金」(→「[尉繚]」)と同じ、秦のリアリズムの一族です。きれいごとを捨てられる者が勝つという、身も蓋もない真実を、この六百里は突きつけてきます。
> 後日談——懐王は、もう一度騙される 懐王の不運は、これで終わりません。数年後、彼は秦に「会盟しよう」と誘われて武関にのこのこ出向き、そのまま捕らえられて、二度と楚へ帰れぬまま秦で客死します。忠臣・屈原(くつげん)が「秦を信じてはならぬ」と諫めたのを退けた果ての最期でした(絶望した屈原が汨羅〔べきら〕に身を投げた話は、端午節の起源として知られます)。同じ相手に二度騙される——懐王は、戦国の「利に喩る者」の、悲しい代名詞になったのです。
まとめ
「商於の地六百里」は、口約束一つで大国の同盟を砕いた、連衡策の最高傑作でした。
けれどその本質は、方言による喜劇的な行き違いではなく、約束を餌にして平然と裏切る、冷徹な詐術です。
利に釣られて信義を手放した楚懐王と、信義を破る覚悟で勝ちを拾った秦。
——きれいごとの通じない戦国の非情を、これほど鮮やかに映す話も、そうありません。
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◀ 張儀のその後:[秦武王(張儀と折り合わず魏へ)]
◀ 秦の“術数で勝つ”系譜:[商鞅の変法(徙木立信・商於の地)] | [尉繚(力と金で勝つ)]
◀ 利 vs 義:[呂不韋(君子は義に喩り、小人は利に喩る)]
◀ 楚のその後:ミーユエ(宣太后・芈月)本編へ
◀ シリーズ一覧:清朝末期シリーズ 完全ガイドへ
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