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「和氏の璧」から学ぶ真価と人材の価値 ミーユエ37話 

璧(へき)とは何か

璧とは、形状が円盤状で、中心に円孔を持つ玉のことを指します。

古代中国では、璧は日月を象徴する祭器として、祭礼用の玉器のうち最も重要なものとされていました。

台北故宮博物院には戦国時代の璧が所蔵されていますが、

残念ながらあの有名な「和氏の璧」ではありません。

伝説によれば、和氏の璧は後に始皇帝の手に渡り、

伝国璽(皇帝の印璽)に作り変えられたとされています。現在、その姿を見ることはできません。

「和氏の璧」の物語

「韓非子―和氏」に記録されたこの物語は、中国の春秋時代の出来事です。

楚の国の卞和(べんか、和氏とも呼ばれる)という人物が、ある石を発見しました。

彼は「磨けばとても美しい玉(璧)になる」と確信し、王に献上しました。

しかし、専門家の鑑定結果は「玉ではない」。

卞和は嘘つき呼ばわりされ、罰として左足の筋を抜かれてしまいます。

次代の王に再び献上しても結果は同じ。今度は右足の筋を抜かれました。

その次の王の時代、卞和は石を抱いて泣いていました。

通りかかった王が理由を尋ねると、卞和は答えました。

「玉なのにそれが認められず、正直者なのに嘘つき呼ばわりされるのが、悲しいのです」

気になった王が試しにその石を磨かせてみたところ、美しい玉が現れたのです。

読み方について:「かしのへき」か「わしのへき」か

日本語では「わしのへき」が適切だと考えられます。

中国語では「和氏の璧」は「hé shì bì(フーシービー)」、

「卞和」は「biàn hé(ビエンフー)」と発音されます。

この物語から得られる教訓

この古典的な物語からは、複数の教訓を読み取ることができます。

①真価の認識の困難さ

宝石でさえ、その真価が認められるまでにはこれほどの苦労があります。

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ましてや人間の真価となれば、認められることの難しさは想像に難くありません。

②真実を語ることの危険性

君主に真実を告げ、政治に役立ててもらいたいと思っても、

受け入れてもらえないことが多いものです。

歴史上、無惨にも殺されてしまう者が後を絶たないため、

黙っていた方が身のためという現実的な教訓もあります。

③価値の普遍性と時間の必要性

価値のあるものは必ずしもすぐには理解されません。

しかし、時が経てば本来の価値が認められるという希望的な解釈も可能です。

張儀の視点:物より人を重んじる

戦国時代の政治家・張儀は、ミーユエ37話でこの璧に対してこう述べていました。

「楚にいた時、和氏の璧が紛失して、その時身なりの貧しい私が疑われて打たれた。

くだらない石のために人材を失うから、私が買い取って木っ端微塵に砕いてやる」

この発言からは、さらに深い教訓を読み取ることができます。

④物より人の価値

どんなに貴重な宝物よりも、人材の方が重要であるという価値観です。

⑤創造性の重要性

形あるものは壊れるし、それ自体では何も生み出すことはできません。

しかし人間ならば、その才能で国を築いたり、何かを生産することができます。

現代への示唆

「和氏の璧」の物語は、現代社会においても多くの示唆を与えています。

真の価値や才能を見抜く目を持つこと、

そして物質的な価値よりも人材や創造性を重視することの大切さを、

私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

どの教訓を重視するかは、その人の価値観や置かれた状況によって異なるでしょう。

しかし、この古典的な物語が2000年以上にわたって語り継がれていることは、

その普遍的な価値を物語っています。

 

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