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「故郷吉野への里帰り ~長慶天皇の鎧が奏でる南朝挽歌~」

春日大社で開催されている大鎧展に、まさに「東西の横綱」と呼ぶにふさわしい二つの国宝が出品されています。この二つの鎧には、それぞれ日本の歴史を彩る壮大な物語が秘められています。

西の横綱:源義経奉納の赤糸威大鎧

西の横綱は、あの源義経が奉納したとされる**国宝赤糸威大鎧(竹虎雀飾り)**です。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した義経の武勇と、その悲劇的な最期を物語る貴重な遺品として、多くの人々に愛され続けています。

東の横綱:長慶天皇ゆかりの菊一文字の鎧兜

一方、東の横綱として展示されているのが**国宝赤糸威鎧(菊一文字の鎧兜)**です。この鎧には、南北朝時代の激動の歴史が刻まれています。

第98代長慶天皇という人物

この鎧の元の持ち主とされるのが、第98代長慶天皇です。長慶天皇は南朝の強硬派として知られ、「正当性は南朝にあり」との信念を貫いた人物でした。室町幕府との妥協を一切拒み、南朝の正統性を主張し続けたのです。

悲劇の潜幸と最期

在位16年で弟の後亀山天皇に譲位した後も、長慶上皇は諦めることはありませんでした。南朝勢の協力を求めて各地を潜幸(身を隠しながらの行幸)されましたが、これは足利氏にとって脅威でした。

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足利氏の策略により、長慶上皇は紀伊、伊勢、常陸、白川、伊達などを転々とし、ついには遠く陸奥の地まで逃れることとなりました。そして1403年、忠臣に見守られながら相馬地区で崩御されたと伝えられています。

南部家への伝承

この鎧は、長慶天皇の形見として奥州の名家・南部家に伝わったとされています。菊の御紋が豪華にあしらわれているのは、まさに天皇ゆかりの品であることを物語っているのです。

春日大社のホームページでは14世紀の作品とされていますが、長慶天皇の生涯を考慮すると、15世紀の可能性も考えられます。

歴史のロマン ~吉野への里帰り~

今回の展示で特に感慨深いのは、この鎧が吉野の地に「帰る」ということです。南朝の本拠地であった吉野に、長慶天皇ゆかりの鎧が戻ってくる。そこに後南朝天皇の兜が「会いに来る」かのような、歴史のロマンを感じずにはいられません。

二つの国宝が一堂に会するこの機会は、単なる文化財の展示を超えて、日本の複雑で豊かな歴史を物語る貴重な体験となることでしょう。春日大社の大鎧展は、まさに歴史が織りなす壮大な物語を目の当たりにできる、またとない機会なのです。

 

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