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桓騎は樊於期なのか?歴史的検証

中国の戦国時代、秦の将軍・桓騎と燕の亡命者・樊於期が実は同一人物ではないかという説が存在します。今回はこの興味深い説について、史料を基に検証してみました。

桓騎とは何者か

桓騎(?-紀元前229年)は戦国時代の秦の名将で、始皇帝の天下統一事業において重要な役割を果たした人物です。

主な戦績

紀元前237年(始皇帝10年)

  • 将軍に任命される

紀元前236年(始皇帝11年)

  • 王翦、楊端和と共に趙の鄂を攻撃
  • 鄂は落とせなかったが、他の9城を占領
  • 王翦の指揮下で鄂と安陽を占領し、その地に駐屯

紀元前234年(始皇帝13年)

  • 趙の平陽と武城を占領
  • 趙の将軍・胡哲を武水で破り、趙兵10万を斬首する大戦果

紀元前233年(始皇帝14年)

  • 上党から太行山脈を越えて趙の赤里と閔を攻撃
  • 趙の名将・李牧と飛夏で戦い、敗北
  • 秦軍は撤退を余儀なくされる

紀元前229年(始皇帝18年)

  • 王翦に従って趙を攻めるが、再び李牧に敗れる
  • この戦いで戦死したとされる

「桓騎=樊於期」説の根拠

この説を提唱したのは近代の歴史学者・楊寛で、その著書『戦国史』の中で以下の根拠を挙げています。

1. 史書における不自然な空白

『秦始皇本紀』には秦の将軍たちが趙への遠征を指揮した記録が詳細に残されているにもかかわらず、樊於期については一切言及がありません。これは不自然な空白と言えます。

2. 時期の一致

始皇帝14年に桓騎が敗北して逃亡した時期は、始皇帝15年に燕王丹が秦から帰還した時期とほぼ重なります。この時間的な一致は偶然とは思えません。

3. その後の消息

桓騎は14年の敗北以降、秦の将軍として史書に再び登場することはありません。これは大敗後の処罰を恐れた逃亡であった可能性を示唆しています。

4. 発音の類似

桓騎(huán qí)と樊於期(fán wū jī)の発音には類似性があります。燕の方言による変化が史書の記録に異なる形で反映された可能性があります。

5. 司馬光の記録

『資治通鑑』には「秦軍は敗れ、桓騎は逃亡した」と明記されており、さらに秦王が激怒し、「将軍の首に金千斤と一万戸を与える」という高額の懸賞金をかけたとされています。

「桓騎≠樊於期」説の反論

一方で、この説には強力な反論も存在します。

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1. 秦の処罰方針

そもそも秦は戦で敗れた者を厳しく罰することは稀でした。通常は解任される程度で、一族全員を処刑するなどということは考えられません。

2. 李信と蒙恬の例

具体例として、李信と蒙恬という二人の若き将軍が20万の軍勢を率いて楚を攻めましたが惨敗しました。しかし両名はその後も秦軍を率いて斉を攻めることができています。

桓騎もこのような秦の方針を理解していたはずで、敗北の罰を恐れて逃亡する理由はなかったと考えられます。

3. 時系列の問題

ここに最大の矛盾が存在します。

『戦国兵法』には「李牧は秦軍を幾度も破り、追い払い、秦の将軍桓騎を殺害した」と記されており、これは**秦の18年(紀元前229年)**の出来事とされています。

一方、樊於期が燕王丹に亡命したのは秦の17年から18年の間です。

  • 桓騎の死亡が14年の場合:樊於期の亡命(17-18年)まで3年の空白があり、同一人物説は成立しません
  • 桓騎の死亡が18年の場合:時期が一致し、もし死亡でなく逃亡であれば同一人物である可能性が残ります

私の考察

史料を検証した結果、この問題には二つの大きな矛盾が存在することが分かります。

矛盾①:桓騎は逃亡したのか、戦死したのか

  • 『資治通鑑』:逃亡説
  • 『戦国兵法』:戦死説

矛盾②:桓騎の最後はいつなのか

  • 始皇帝14年(紀元前233年)説
  • 始皇帝18年(紀元前229年)説

もし桓騎が始皇帝18年に李牧に敗れて戦死したという『戦国兵法』の記述が正しいとすれば、「桓騎=樊於期」説は時系列的に成立不可能となります。

一方、桓騎が14年に敗北後逃亡し、その後も生き延びていたという『資治通鑑』の記述を採用すれば、同一人物説には一定の可能性が残ります。

結論

現時点では史料の記述に矛盾があり、確定的な結論を出すことはできません

ただし、以下の点は指摘できます:

  • 楊寛の説は発音の類似や時期の一致など、興味深い根拠を提示している
  • しかし秦の処罰方針や史料の矛盾を考えると、確証には至らない
  • 最も重要なのは桓騎の最後の時期と状況を特定することだが、史料によって記述が異なる

歴史のロマンとして楽しむには十分な説ですが、学術的に証明するにはさらなる史料の発見や考古学的証拠が必要でしょう。


この検証は限られた史料に基づくものです。新たな発見により結論が変わる可能性があることをご了承ください。

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