商鞅、なぜ魏の安邑を欲しがったか 鉄と塩が欲しかったから
テレビドラマミーユエ冒頭に少し出てくる商鞅は、恵文王贏駟の父である孝公に仕え、魏の安邑攻めを熱心に進言しました。
なぜ安邑かというと、安邑は塩と鉄が取れたからです。
塩は代替のきかない体に不可欠な栄養です。
鉄は武器に必要なばかりでなく、様々な工具が作れるます。
鉄で農作業工具を作れば、耕作が容易になって農業生産量が上がります。
鉄で土木工具を作れば、道路などが作れ、インフラを整えることができます。
大変重要なものですから、当然利益が上がります。
商鞅、親友を裏切り、魏を攻める
魏に贏夫人(恵文王贏駟の姉)を嫁がせ、魏の内部情報を入手して
紀元前340年、魏へ侵攻しました。
その時かつて親友であった魏の総大将を欺いて招き、これを捕虜にして魏軍を打ち破り黄河以西の土地を奪いました。
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危険を感じた魏は首都を安邑から東の大梁(現在の開封)に遷都しました。
この功績により、商鞅は、商・於という土地を与えられました。
商鞅、お尋ね者になる
商鞅は、絶大な権力をふるい、お金もたくさん持っていて、派手な生活をしていました。
ところが、紀元前338年、孝公が没して、恵文王が王になりました。
恵文王の守り役の一党は商鞅が謀反を図っていると訴えました。
かくして、追われる身となった商鞅は関所の近くまで来て、宿屋に泊まろうとしました。
しかし、宿屋の者は言いました。 「商鞅様の法令で、旅券を持たないお方はお泊めてしてはいけない法律という事になっております」
とあっさり断られてしまいました。
商鞅は「法を為すの弊、一にここに至るか」(ああ、法律を作り徹底させた弊害が、こんな結果をもたらすとは…)と長嘆息する場面が出てきます。ミーユエ1話
その後。車裂きの刑になりました。