三番目、四番目、五番目の和親公主による平和
紀元前176年、冒頓単于は再び和親公主を求めました。
漢の宮廷は、和睦派と主戦派に分かれましたが、和平を結ぶことにしました。
紀元前174年、漢の景帝は匈奴に財宝と和親公主を冒頓単于の息子に与えて(冒頓単于が死亡したため)和平政策を続けることにしました。
その結果、匈奴は漢の武帝の治世に入るまで大規模な国境への嫌がらせをしなくなりました。
紀元前160年、紀元前156年と冒頓単于の孫に和親公主と贈り物を渡しました。
漢は匈奴に多くの利権を与えたため、匈奴と漢は見た目平和を得たように見えました。
匈奴の民間人は自由に漢と匈奴の国境を行き来して交易ができるようになりました。
武帝、匈奴と戦争状態に突入
往来が盛んになると、お金が動くようになります。
紀元前141年、武帝が即位しました。
漢と匈奴に挟まれた烏孫
匈奴との戦いに備えて、烏孫と同盟を結ぶために、紀元前108年、烏孫へ和親公主を送りました。
西域諸国と漢とが繋がるようになると匈奴はこれを警戒して、西域諸国に対して圧力をかけるようになりました。
ドラマ「かいゆう」で描かれた劉解憂はまさに、匈奴と漢の難しい時代に国の命運をかけて送り出された女性でした。
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