> ※物語の純元皇后と宜修(烏拉那拉·宜修)は、どちらも実在しません。でも、二人ともたった一人の実在の皇后から生まれています。その一人が、雍正帝の正室・孝敬憲皇后(こうけいけんこうごう)烏拉那拉氏。作者は、この史実の皇后を、光(純元)と影(宜修)の二人の姉妹に割って描いたのです。
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結論——純元も宜修も、一人の実在皇后の「分身」
まず、いちばん大事なところから。
– 純元皇后も宜修皇后も、ドラマの創作キャラクターです。
– ただし、二人の”種”になった実在の女性が一人だけいます。それが、雍正帝の本当の正室・孝敬憲皇后 烏拉那拉氏。
– 作者は、この一人の皇后から、「理想化された最愛の姉(純元)」と「その地位を継ぐ、野心を秘めた妹(宜修)」という、対照的な二人を作り出した。
つまり「純元=宜修」でも「宜修=孝敬憲皇后(そのまま)」でもありません。正しくは——一人の実在皇后を、二人のフィクションに割った。これが答えです。
史実の孝敬憲皇后(烏拉那拉氏)——静かな正室
では、種になった実在の女性は、どんな人だったのか。ここは、ネット上に没年を間違えた記事が多いので、正確に押さえておきます。
– 生没:1681年〜1731年(雍正9年)、享年およそ50。(※「1748年没」とする記述は誤り。乾隆帝の“もう一人の”那拉皇后=継皇后〔如懿のモデル、1718〜1766〕との混同と思われます。)
– 父は費揚古(ひようこ)、内大臣をつとめた満洲正黄旗の名門。
– 康熙30年(1691年)、胤禛(いんしん=のちの雍正帝)の嫡福晋(ちゃくふくしん=正室)となる。
– 康熙36年(1697年)、嫡長子・弘暉(こうき)を出産。しかし康熙43年(1704年)、弘暉は8歳で夭折。以後、子には恵まれませんでした。
– 雍正元年(1723年)、皇后に。1731年に崩御。史書に残る人物像は「温和恭敬(おんわきょうけい)」——おだやかで、慎み深い、というものです。
嫉妬に狂って姉や皇子を手にかける悪后でも、難産で夭折した悲劇の最愛でもない。記録の少ない、物静かな正室——それが史実の彼女でした。愛児をひとり早くに亡くし、あとは黙って正室の座を守り続けた、その静けさが、かえって作者の想像力をかき立てたのかもしれません。
物語の純元皇后——「理想の愛」の化身
ドラマの純元は、孝敬憲皇后の光の面を極限まで美化したキャラクターです。声は美しく、舞は巧みで、裁縫も得意。雍正帝が親王時代に一目惚れし、懇願して嫡福晋に迎えるも、三年後に難産で世を去る。死してなお皇帝が忘れられない、永遠の女性——。皇帝が甄嬛に惹かれるのも、その面影を重ねたからでした。
けれど、くり返しますが、純元は完全な創作です。史実の雍正に「難産で早世した、生涯忘れえぬ最初の皇后」は存在しません。純元は、「賢后・孝敬憲皇后」から”愛”だけを抽出して結晶させた、理想の像なのです。
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物語の宜修皇后——「地位」を継ぎ、性格は真逆に
もう一人、宜修。彼女は孝敬憲皇后の地位(雍正の烏拉那拉皇后という椅子)をそのまま受け継ぎます。純元の庶出の妹という設定で、表向きは公正で理解ある後宮の主。しかし裏では、我が子を亡くした恨みと、姉ばかり愛された嫉妬から、身重の姉(純元)を手にかけて皇后の座につき、皇帝の子を害し、妃嬪を陥れていく——。
この悪事は、すべてフィクションです。史実の「温和恭敬」な皇后とは、正反対。作者は、椅子だけを史実から借りて、中身を”影”で塗り替えました。
> 私の見立て——なぜ、一人を二人に割ったのか 思うに、作者は、史実の孝敬憲皇后があまりに「完璧な賢妻」として、あっさり記録されていることに、物足りなさを感じたのではないでしょうか。現実の人間なら、献身の裏に、欲望も、嫉妬も、野心も、愛憎もあるはず。その割り切れない人間の全体を、一人の中に収めず、愛の極(純元)と、業(ごう)の極(宜修)に、真っ二つに引き裂いて見せた。純元を高く飾れば飾るほど、宜修の闇は深くなる。片方だけでは物語にならない、史実の”薄い”一人が、フィクションでは濃い二人になる。これは、地味な実在人物が創作で鮮やかに描き替えられる、その典型例でした(甄嬛その人が、史実の「寵愛で成功した皇太后」から「権力に復讐する女」へ描き替えられたのと、同じ仕組みです)。
まぎらわしい点の整理——「皇后のモデル」と「甄嬛のモデル」は別人
最後に、混乱しやすいので念押しを。孝敬憲皇后(烏拉那拉氏)は、あくまで純元・宜修という”皇后たち”のモデル。
主人公甄嬛のモデルは、別の女性——孝聖憲皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏(雍正の側妃で、乾隆帝の生母)です(→「[甄嬛のモデル(孝聖憲皇后)]」)。
– 那拉(ナラ)氏 → 純元・宜修(皇后姉妹)のモデル
– 鈕祜禄(ニオフル)氏 → 甄嬛(主人公)のモデル
姓も立場も違う二系統。ここを分けておけば、記事どうしが矛盾しません。
まとめ
純元と宜修は、同じ人ではありません。けれど、無関係でもない。雍正帝の静かな正室・孝敬憲皇后というたった一人の実在の女性が、作者の手で、愛の純元と業の宜修という二人に引き裂かれた——それが、この二人の皇后の正体でした。史実では黙って耐えた一人の女性が、フィクションでは、人間のいちばん美しい部分と、いちばん昏(くら)い部分を、それぞれ引き受けて生き直した。歴史を素材にした創作の、これは見事な一例だと思います。
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