> ※この記事は「草原の帝国」シリーズの一篇で、「[突厥(テュルクの帝国)]」のドラマ版です。あちらが東突厥の通史なら、こちらはドラマ『長歌行』を入口に、その滅亡の時代(渭水の盟〜630年)を、人の物語として見ていきます。ただし『長歌行』は史実と創作が混ざるので、どこまでが本当かを、分けます。
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ドラマと史実の、まず地図
最初に、混同しやすい名前を整理します。
– 李長歌(りちょうか)——ドラマの主人公。玄武門の変で殺された皇太子・李建成の娘とされていますが・・[李長歌のモデル]
– 阿詩勒隼(アシラ・シュン)——もう一人の主役。実在の突厥王族阿史那思摩・阿史那忠・阿史那社爾らを重ねた合成のキャラクター(→「[阿詩勒隼のモデルたち]」で詳説)。
– 阿詩勒部(アシラぶ)——ドラマ上の部族名で、実際の突厥(→「[突厥]」)がモデルです。「阿詩勒」は「阿史那(アシナ)」の言い換え。
つまり『長歌行』は、唐建国期の、唐と東突厥の対決を舞台にした物語なのです。
隋末の混乱と、李淵の臣従
隋の煬帝(ようだい)は、歴史に名高い暴君でした。自らの快楽に溺れ、民を顧みなかったため、各地で「反隋」の反乱が噴き出します。突厥(東突厥)は、この機を逃しませんでした。反隋勢力に手を貸して中原の内紛をあおり、漁夫の利を得ようとしたのです。
突厥が中原を欲した理由も、はっきりしていました。彼らには馬と、武器を打つ豊かな鉱石がありましたが、絹・茶・陶磁器といった物資は乏しい。だから、それらを産む中原が、のどから手が出るほど魅力だったのです(この「草原は中華の物資を欲しがる」構図は、シリーズで何度も見てきました→「[冒頓単于]」)。
そして——ここが重要な史実です。唐を建てた李淵(りえん)は、その建国にあたって、東突厥に臣従しました。
617年の太原挙兵の際、李淵は劉文静を使者に立てて始畢可汗(しひつかがん)の支援を求め、馬と兵を借りる代わりに、金銀財帛を突厥に贈ったのです。
記録には、李淵が「戦で得た財貨は、すべて可汗のものとする」と言ったとさえあります。背後の憂いを断ち、中原の群雄を倒すために、李淵は草原に頭を下げた。突厥は、唐の産声のときから、その上に立っていたのです。
> またしても、中華が草原に払っている
冒頓が漢の劉邦から和親を引き出し、
のちに東突厥が唐太宗から渭水の金を引き出し、
遼が宋から澶淵の歳幣を引き出す(→「[澶淵の盟と蕭燕燕の中央集権]」)。
そしてここでは、唐の建国者その人が、草原に臣従して財を貢いでいる。
強大な中華の、まさに始まりの瞬間にすら、草原への支払いがあった——この型の根深さに、あらためて驚かされます。
李世民と、警戒
李淵の次男・李世民(りせいみん/のちの太宗)は、まだ唐の地盤が固まっておらず、突厥を強く警戒していました。一方、兄の皇太子・李建成は、突厥への危機感がやや薄かったと描かれます。ドラマの緊張は、この兄弟の路線の違いにも重なります。
626年、玄武門の変。 李世民は兄・建成と弟・元吉を討ち、実権を握ります。
その直後、東突厥の頡利可汗が混乱を突いて渭水まで南下——李世民は金品を贈って和を請うほかありませんでした(渭水の盟=渭水の恥)。
即位したばかりの太宗にとって、これは生涯忘れぬ屈辱でした。ドラマ『長歌行』の張りつめた空気は、この「唐の至暗の時刻」を背景にしています。
逆転——李世民の分断策
しかし李世民は、屈辱を力に変えます。彼の戦略は、正面から徹底的に戦う突厥可汗とは対照的に、「相手の内部の亀裂を突く」ものでした。
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突厥には、徹底抗戦を望む好戦派と、戦を避けたい厭戦派がいる。李世民はそれを見抜き、両者を切り離し、戦いたくない勢力や、突厥に従属していた諸部族(薛延陀〔せつえんだ〕など)に援助を与えて、味方につけました。
ドラマで阿詩勒部が抑えていた「薛雁頭族」が反乱を起こし、唐がそれを助けて阿詩勒部が壊滅する——という筋は、この史実の分断策(薛延陀らを使って東突厥を内側から崩した)を、物語にしたものです。
そして貞観3〜4年(629〜630年)、唐の名将・李靖が大軍で攻め込み、ついに東突厥を滅ぼし、頡利可汗を捕らえました。
北方の諸部族は、太宗に「天可汗(てんかがん)」の称号を奉ります。
李淵が臣従した相手を、その子・李世民が滅ぼし、逆に草原の盟主となった。唐の建国期のわずか十数年で、力の振り子は、草原から中華へと、大きく振れ戻ったのです。
> ドラマの「正元3年・正元13年」という年号は、正しくは太宗の元号貞観(じょうがん)で、629年・639年にあたります。
阿詩勒隼のモデル・阿史那忠——草原貴族の、中華への融合
降伏した阿詩勒隼が唐に厚遇され、公主(皇女)を娶り、左将軍に任じられ、やがて長安に住んで生涯を唐に尽くす——というドラマの筋にも、確かな史実の裏づけがあります。
モデルの阿史那忠は、実在の突厥王族でした。東突厥に生まれ、唐に降って太宗に仕え、唐の皇室につらなる女性を妻に迎え、忠実な将軍として生きました。
彼だけではありません。阿史那社爾(あしなしゃじ)や執失思力(しっしつしりき)といった突厥の貴族たちも、唐に降って皇女を娶り、唐の将として活躍しています。
草原に生まれた誇り高い貴族が、長安の宮廷に溶け込み、忠臣として生涯を終える——これは、決して珍しい話ではなかったのです。
> これは、韓徳譲の反対です。 遼のシリーズで見た[韓徳譲]は、漢人の隷属民の孫が、契丹の皇族にまで昇った——漢人が、草原の帝国に融合した物語でした。
阿史那忠は、その逆。草原の貴族が、中華の帝国に融合した物語です。
征服する側とされる側、草原と中華——その境界は、私たちが思うよりずっと、人の生き方の中で溶け合っていた。韓徳譲と阿史那忠を並べて見ると、「漢か、胡か」という線引きの不確かさが、くっきりと浮かび上がってきます。
おわりに
『長歌行』は、李長歌という一人の女性の運命を通して、唐建国期の——李淵の臣従と、李世民の逆転という——草原と中華の、激しい力のせめぎ合いを描いています。
ドラマの創作(李長歌や阿詩勒隼の物語)の奥には、冒頓以来くり返されてきた「中華が草原に払う」型と、それを覆して天可汗となった李世民の逆転劇という、確かな史実の骨格が横たわっているのです。
草原の覇権は、このあと東突厥から回鶻へ、そして契丹(遼)へと渡っていきます(→「[回鶻の歴史]」)。『長歌行』が描いた東突厥の落日は、その長いリレーの、一つの結び目でもありました。
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