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燕雲台34・35話 耶律敵烈と韓德讓の判断の差

耶律敵烈と韓德讓の半目

北漢の首都太原は南朝(北宋)の3万の軍隊に包囲されました。北漢は遼の南京(北京)に助けを求めました。軍議では、耶律敵烈は、北漢は弟国だから見捨てるわけにいかないと援軍を主張します。

しかし、韓德讓は、北京の守備兵は1万8千しかないこと、また南朝には太原の3万の兵士の他に、澶州に軍隊がいるから、(字幕では鎮州となっていましたが、私にはchan zhouと聞こえたので澶州としました)北京が手薄になれば、北京が南朝の総攻撃を受けると反対しました

結局、耶律敵烈は、無断で1万の兵を引き連れて北漢の救援に向かいました。北漢が滅びてしまうと、遼と南朝(北宋)とが直接国境を接することになるため、緩衝地帯として北漢が重大であったためです。しかし、耶律敵烈の軍は南朝の軍隊に挟み撃ちに遭ってしまい、北京に残る韓德讓に助けを求めました。しかし、北京には戦える兵は5千人しかいません。とても救援には行けません。耶律敵烈の軍隊は全滅しました。

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居庸関の攻防

そうこうしているうちに、南朝の軍隊は太原をおとし、進路を東にかえ、自然の要塞である大行山脈を横切っては華北平原に出てきました。華北平原に入れば、道は平坦ですので、あっという間に手薄になっている北京に迫ってきました。

韓德讓が旗を守っている高台は居庸関と思います。南からの街道からの侵入口を守っている関所です。ここが突破されれば、北京は落ちます。

絶望的な兵力差でしたが、蕭燕燕自ら親征する遼軍が到着し、韓德讓は助かりました。

結局誰が得した?

耶律敵烈は4代皇帝耶律ケイの娘婿にあたり、その子は3支の系統の唯一の子孫です。これによって、3支の系統を一つ潰せたので、蕭燕燕が得をしたとも取れます。

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