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“兵は神速を貴ぶ”「孫子-兵法」『三国志-魏書-郭嘉伝』

「孫子-兵法」中の兵贵神速

戦争の原則はスピードであり、敵の準備不足につけ込み、敵の予期せぬ道を進み、敵の疑う余地のない場所を攻撃することである

『三国志-魏書-郭嘉伝』中の兵は神速を貴ぶ

郭嘉(かくか)は三国時代の曹操(そうそう)の知略家で、曹操から信頼され重用されていた。
西暦200年、北方最大の支配勢力であった袁紹が官渡の戦いで曹操に敗れると、彼の二人の息子である袁尚と袁西は江河流域の烏丸リーダーである蹋顿单于のところに亡命した。
曹操は烏丸の討伐に興味を持ったが、荊州の劉彪がこの状況を利用し攻撃されることを恐れた。
郭嘉は状況を分析し、曹操に言った:”劉彪は私たちを攻撃する勇気がないでしょう。
このタイミングで奇襲をかければ、確実に彼らを排除できる。
もし、時間を遅らせて、袁尚と袁西に一息つく機会を与えれば、残党を再び集めるでしょうし、そして、烏丸の応援を得れば、もう不可能になります。
曹操は郭嘉の言葉に耳を傾け、合理的であると判断し、自ら軍を率いて烏丸を討伐することにした
しかし、曹操軍の兵士と兵糧の数が多かったため、軍は烏丸族の本拠地に到着するまでに一ヶ月以上要しそうであった。
郭嘉は曹操に言った。
「軍隊を使う上で最も重要なことは速度です。
私たちは数千キロも離れたところにいます。
多くの軍需物資を持ち、行軍も遅いので、敵が私たちの軍隊のことを知れば、準備をしてしまうでしょう。
嵩張る兵器や物資を置き去りにして、昼夜を問わず移動できる軽装の兵を送り出し、
敵の領土の奥深くまで入り込み、敵が警戒していない間に攻撃を仕掛け、勝利を収めるのはどうでしょうか
曹操は郭嘉の忠告を受け、自ら数千の精鋭部隊を率いて軽装で北上し、そのまま敵の本拠地に侵入した。
結局、蹋顿单于は殺され、袁尚と袁西は遼東に逃れた後、遼東総督に殺された。

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