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キジルクム砂漠に眠る古代文明の記憶 カラカルパクスタンで見た栄光と衰退の物語

砂漠への旅立ち

4月29日、ウズベキスタンのヌクスから南東へ向けて砂漠に足を踏み入れた。カラカルパクスタンの大地は、私たち日本人が想像する砂丘の美しい砂漠とは全く異なっていた。そこに広がっていたのは、礫岩がゴロゴロと転がる荒涼とした風景。風化した岩石が織りなす独特の地形は、この土地の長い歴史を物語っているかのようだった。

キジルカラとトプラクカラ 失われた王国の痕跡

強風に車体を揺らされながら2時間ほどドライブすると、キジルカラに到着した。そこから南東へ1.5キロ進んだ場所にあるのがトプラクカラ。両者は1〜3世紀頃の古代ホラズム王国の宮殿や軍隊駐屯地とされ、地下道で結ばれていたという説もある。

砂塵舞う荒野に佇むこれらの遺跡を前にして、かつてここに栄えた文明の姿を想像するのは容易ではない。しかし、8メートルの高さの壁に囲まれたトプラクカラの長方形要塞の中には、居住スペース、工場、そしてゾロアスター教の寺院まで確認されているのだ。

古代ホラズム王国 アムダリア川と共に生きた文明

ここで言うホラズム王国は、12世紀のホラズム・シャー王国とは別の古代文明である。紀元前6世紀頃からアムダリア川下流での開拓が始まり、紀元前4世紀にはすでに高度な文明を築いていた。

彼らは川の流れと共に生き、肥沃な土地を求めて城を移し、城塞を築いて外敵の侵入を防いだ。ヤッカバルサンカラ、カルズケクカラなど、約10の遺跡群がこの地域に点在しているという。今回は訪れることができなかったが、それぞれが古代ホラズム文明の一片を物語る貴重な遺産なのだろう。

緑豊かな過去から荒涼とした現在へ

現在は完全に砂漠の中に取り残されたような遺跡群だが、当時はアムダリア川から水を引いて葡萄畑などの農地が広がっていたという。砂漠の中に点々と古代遺跡が存在することに最初は驚いたが、考えてみれば当然のことだった。今は不毛の砂漠でも、かつてはアムダリア川の恵みを受けた緑豊かな土地だったのだから。

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文明の盛衰が問いかけるもの

遺跡を前にして考え込んでしまった。アムダリア川が川筋を変えてしまったのか、それとも灌漑農業で水を使いすぎてしまったのか。いずれにせよ、繁栄を誇った文明がなぜこのように放棄されることになったのだろうか。

捨てられた遺跡の運命を見ていると、自然に負荷をかけすぎた文明は滅びてしまうのではないかという思いを強くした。現在のアラル海を塩の湖に変えてしまった状況を、私はこれまで批判的に見てきた。しかし、この遺跡群を目の当たりにして、古代の人々もまた豊かな生活のためには水が必要で、人々を養うためには農地が必要だったからこそ、大規模な灌漑を行ったのだと理解できた。

現代への警鐘

キジルクム砂漠の古代遺跡は、私たちに重要なメッセージを伝えている。文明の発展と自然環境の保全のバランスがいかに難しく、そして重要であるかということを。古代ホラズム王国の人々も、おそらく私たちと同じように、より良い暮らしを求めて努力していたのだろう。しかし、その結果として文明そのものが消失してしまった。

現代の私たちもまた、同じような選択を迫られている。持続可能な発展とは何か、自然と調和した文明とはどのようなものか。砂漠の風に吹かれながら、古代の遺跡が静かに問いかけてくる声に耳を傾けずにはいられなかった。

 

上記写真はトプラクカラ

キジルクム砂漠

砂というよりは礫岩がゴロゴロしていてしていて日本人が思い浮かべるような砂漠ではありませんでした。

 

キジルカラとトプラクカラ

 

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