アヤズカラ・ユルタキャンプでの休憩
4月29日、トプラクカラから車で30分、アヤズカラ・ユルタキャンプに到着しました。アヤズカラの遺跡はここからさらに15分ほど山を登った場所にあるため、まずはここでランチ休憩です。
食事は私が想像していたユルタ(チュルク語でゲルのこと)ではなく、ガラス張りの建物の中でいただきました。ユルタでの食事を楽しみにしていた私を見て、カラパクスタン人のドライバーさんが笑っていましたが、その理由は後でよく分かりました。
砂漠の厳しさを実感
風が非常に強く、気密性の良さそうなガラス張りの建物の中でも、テーブルの上にうっすらと砂が積もっていました。スタッフの皆さんは一生懸命清掃してくださっているのですが、それでも砂漠の厳しさを感じずにはいられませんでした。
キャンプには12個のユルタがあり、複数の家族や一族が住んでいるようです。家長と思われるラニアおばさんがキャンプ全体を仕切っており、とても面倒見の良い方でした。
絶品の煮込み料理
特に印象に残ったのが、ジャガイモとキャベツ、にんじん、お肉の煮込み料理です。家庭の鍋では決して出せない深い味わいの秘密は、ナンを焼く時に使う大きな釜のような専用の調理器具にあるそうです。砂漠の厳しい環境の中で、これほど美味しい料理がいただけるとは思いませんでした。
現代的な設備に驚き
こんな砂漠の真ん中にも関わらず、電気も水道も完備されており、トイレも水洗でとても清潔に保たれていました。これらの設備は、国連の援助により古代遺跡を保護するためにキャンプが作られた際に整備されたものだそうです。
ラニアおばさんによると、日本人の観光客も多く訪れるそうで、特にゴールデンウィークの時期には、車をチャーターして個人旅行で来る日本人の方々をよく見かけるとのことでした。
星空とユルタ宿泊
「星空がとても美しいから、今度は夜にユルタに泊まってみなさい」とラニアおばさんに勧められました。しかし、後でガイドさんやドライバーさんに聞くと、「ユルタは入り口から砂が入り込むし、虫も来て大変だよ」とのこと。砂漠の厳しさを理解していない私には向いていないと思われたようです。
それでも、砂漠に慣れた方なら十分楽しめる体験だと思うので、ぜひチャレンジしてみてください。
アヤズカラ1への登山
ユルタキャンプから約30分かけて、アヤズカラ1まで登りました。砂地に足を取られるため、思うように早く歩くことができません。靴の中には砂がたくさん入り、靴下やズボンも砂だらけになってしまいました。
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旅のアドバイス: 後のツアーのために、替えのズボンを持参することを強くお勧めします。私は履いているものを含めて3本持参しましたが、ちょうど良い量でした。
風の都の由来
アヤズカラとは「風の都」という意味だそうで、実際に現地でも強い風を体験しました。この遺跡は紀元前4世紀から3世紀にかけて建設され、紀元後1世紀まで城塞として使用されていたという長い歴史を持っています。
アヤズカラ2
アヤズカラ1からの眺望で、紀元後7世紀頃に建設されたとされるアヤズカラ2を確認することができました。
行けなかった幻の遺跡:チルピックカラ
今回のツアーでは時間の関係で訪れることができませんでしたが、個人的に最も興味深いと感じたのがチルピックカラです。事前によく調べてリクエストしておけば良かったと今では後悔しています。
ゾロアスター教の遺跡
チルピックカラは紀元後1世紀から4世紀、ゾロアスター教の時代に建設されたダフマ(鳥葬のために遺体を置く塔)だったそうです。現在はイスラム教が主流の地域ですが、もともとはゾロアスター教が信仰されていたという歴史の重層性を感じさせます。
16世紀のヒヴァ・ハン国時代には、敵国の襲来を知らせる狼煙を上げる場所として使用されていたとのことで、時代と共に用途が変化してきた興味深い遺跡です。
まとめ
砂漠の厳しさと美しさ、そして古代からの長い歴史を同時に体験できるアヤズカラ。物理的にはハードな旅でしたが、その分得られた感動も大きなものでした。次回は星空を楽しむために、ユルタでの宿泊にもチャレンジしてみたいと思います。
アヤズカラ1
アヤズカラ2
紀元後7世紀?
アヤズカラ1から見ました。
アヤズカラ2
紀元後7世紀?
アヤズカラ1から見ました。
アヤズカラ3
アヤズカラ1の前の平原。
紀元前5から4世紀に作られ面積5ヘクタール