悲劇のヒロイン・孟嬴の正体に迫る
中国の歴史ドラマ『ミーユエ 王朝を照らす月』を見た方なら、孟嬴の悲しい運命と彼女をおくりださねばならない父王の表情に心を打たれたのではないでしょうか。
蘇秦への叶わぬ恋、老いた燕王との政略結婚、そして人質としての苦難…。
でも、実はドラマと史実には大きな違いがあったんです。
今回は、孟嬴の実在モデルである「燕易王后」の真実の姿を、戦国時代の外交戦略とともに解き明かします。
孟嬴は実在した!史書に残る記録
『史記』燕召公世家には、こんな記述があります。
「秦惠王以其女為燕太子婦」
(秦の恵王がその娘を燕の太子の妻とした)
そう、孟嬴のモデルとなった秦恵王の娘は実在の人物なんです。
史書では「燕易后」と呼ばれ、後に燕の名君として名を馳せる燕昭王の母として歴史に名を残しています。
名前が伝わっていない理由
興味深いことに、彼女の本名は歴史の中に埋もれてしまっています。
当時の女性は個人名ではなく、出身国や夫の身分で呼ばれることが一般的でした。
彼女も「秦の恵王の娘」「燕易王の后」としてのみ記録されているのです。
【衝撃】ドラマと史実、ここまで違う!
ドラマを見た人なら「え、こんなに違うの!?」と驚くはず。主な違いを比較してみましょう。
ドラマでの描写
- ❌ 50過ぎの老いた燕王との結婚
- ❌ 蘇秦との切ない恋愛関係
- ❌ 韓や趙での人質生活
史実はこうだった!
- ✅ 結婚相手は燕太子(後の燕易王)
- ✅ 蘇秦との恋愛は創作(史実の裏付けなし)ただし
『戦国策』には、蘇秦が燕の易王の母(まさに孟嬴のモデル!)と不倫関係にあったという記述があります。
ただし、この記述も政敵による中傷の可能性ありです
- ✅ 人質体験も脚色
実際には、彼女は若い太子と結婚しました。
燕易王は父の死後に即位し、12年間在位しています。ドラマで描かれたような「よぼよぼのじいさんとの悲劇的な結婚」ではなかったようです。
この婚姻の裏に隠された外交戦争
いつ、なぜ結婚したのか?
- 時期: 紀元前320年代(燕文公28年頃)
- 秦の君主: 秦恵文王(在位:紀元前337-311年)
- 目的: 秦と燕の同盟関係強化
この時代、戦国七雄はまだ比較的拮抗していました。秦も燕も対等な立場での外交を展開していたんです。
張儀 vs 蘇秦:二大戦略の激突
この婚姻が実現した背景には、戦国時代を代表する二つの外交戦略の対立がありました。
🔵 蘇秦の「合従策」
六国(燕・趙・韓・魏・斉・楚)が団結して秦に対抗する戦略。
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『史記』によると、燕文公28年に蘇秦が初めて燕に来て文公を説得。文公は蘇秦に車馬や金銭を与えて趙に送り出し、蘇秦は六国の合従を成立させます。
🔴 張儀の「連横策」
秦が各国と個別に同盟を結び、六国の団結を崩す戦略。
秦と燕の婚姻は、まさにこの連横策の一環だったのです。
燕の二股外交
ここで驚くべき事実が。
秦恵王の娘が燕太子の妻となったのは、蘇秦が燕に来たのと同じ年のことでした。
つまり、燕文公は同じ時期に:
- 🤝 蘇秦を支援して合従同盟に参加
- 💍 秦とも婚姻関係を結ぶ
完全に二股外交です!
これは北方の弱小国である燕が、生き残りのために両方の陣営と関係を保とうとした証拠。小国の必死のサバイバル戦略だったんですね。
「婚姻という戦場」の真実
ドラマの中で孟嬴にむかっておばあさまが言う台詞があります。
「この婚礼に行かなくては、城壁から身を投げるしかない。王族の男は戦場に行く、王族の女もまた婚姻という戦場に行かなくてはならない」
この台詞は、政略結婚の本質を見事に表現しています。
燕易王后の人生
史実の彼女の人生を追うと:
- 秦の恵文王の長女として生まれる
- 秦と燕の同盟のため、燕の太子に嫁ぐ
- 息子・公子職(後の燕昭王)を産む
- 息子を補佐し、逆に父の国・秦に対抗する同盟を支持
最も辛かったのは、おそらく最後の部分でしょう。
婚姻という「戦場」に赴いた後、今度は自分の息子のために父の国と対立しなくてはならなくなったのです。
史書には「長らく感情を抑え込み、憂鬱のうちにこの世を去った」と記されています。
彼女の息子が燕を救った
秦恵王の娘が産んだ公子職は、後に燕昭王として歴史に名を残します。
燕昭王の功績
- 紀元前313年、内乱を収めて即位
- 名将・楽毅を登用
- 斉を攻めて燕の最盛期を築く
弱小国だった燕を、一時的にでも強国に押し上げた名君です。
母である燕易王后は、この息子の成功を影で支えたのでしょう。自分の生まれた国・秦との複雑な関係に苦しみながらも。
まとめ:ドラマと史実、どちらも興味深い
『ミーユエ』の孟嬴は、実在の秦恵王の娘をモデルにしたキャラクターです。
ドラマの創作部分
- 蘇秦との恋愛
- 老いた燕王との結婚
- 人質体験
史実
- 燕太子との政略結婚
- 息子は後の名君・燕昭王
- 張儀の連横策と蘇秦の合従策の対立の中での婚姻
- 父の国と息子の国の間で苦しんだ人生
ドラマは感動的なフィクションですが、史実には史実の深いドラマがあります。
王族の女性たちにとって、婚姻はまさに「戦場」でした。
そして燕易王后のように、その戦場に赴いた後も、さらに過酷な選択を迫られることもあったのです。
戦国時代の政略結婚がいかに複雑で、当事者にとって苦しいものだったか。
歴史を知ることで、ドラマの見方もまた変わってくるのではないでしょうか。



