城壁に守られた聖域「イチャンカラ」
ヒヴァの城壁内は「イチャンカラ」と呼ばれ、まさに別世界のような場所でした。この聖域の特徴は、何よりもその清潔さ。汚れたものは一切城壁の外に出され、衛生的に保たれていたのです。
驚いたのは、病人が出た場合の対応。なんと城壁の外に追放されてしまうのだとか。伝染病への恐怖がいかに強かったかが伝わってきます。現代の感染症対策とは比べものにならない厳格さですね。
タシュハウリ宮殿の巧妙な設計
イチャンカラの東側にあるタシュハウリ宮殿は、機能的に南北に分かれた興味深い構造をしています。
南側:政治の舞台
宮殿の南側は公的な空間として使われていました。外交や内政が行われる、いわば政治の中枢です。王が客人を謁見する重要な場所でもありました。
王は正面の柱のある場所に座り、客人は中庭で順番を待つシステム。待ち時間が長くなったり寒くなったりした時のために、なんとユルタまで用意されていたそうです。細やかな配慮に感心しました。
北側:王の私生活の舞台
一方、北側は完全にプライベートな空間。2階建てのハーレムになっています。
中庭に面して配置された部屋の順番が実に興味深いのです:
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- 一際高い屋根:王様の寝室
- 柱のある部屋から順に:第1夫人、第2夫人、第3夫人、第4夫人の部屋
- 中庭の向かい側:侍女や召使の部屋
気になった疑問とその答え
この配置を見て、素朴な疑問が湧きました。「第4夫人が王様に呼ばれたら、他の夫人の部屋を通り抜けなければならないのでは?」
ガイドさんに質問してみると、意外な答えが返ってきました。
夫人が王様のもとに行くのではなく、王様が中庭を通って夫人のもとに向かうのだそうです。
さらに巧妙なのは、夫人たちは中庭を見ることが許されていないこと。つまり、王様がどの夫人の部屋に入ったかは分からない仕組みになっているのです。
この設計の理由は「夫人同士の喧嘩を防ぐため」。なるほど、宮廷の平和を保つための知恵だったんですね。
歴史が語りかけるもの
タシュハウリ宮殿の設計からは、当時の社会システムや人間関係の複雑さが見えてきます。権力者の私生活から政治運営まで、全てが計算され尽くした空間設計。
現代の私たちには理解しがたい制度もありますが、その時代なりの合理性や配慮があったことが分かります。
王様の公的空間写真
王様の私的空間写真