血統の正統性を巡る政治的駆け引き
中国史上、皇帝の正統性を示す最も重要な要素の一つが、
伝説の皇帝「黄帝」の血を受け継いでいるかどうかである。
今回は、宋と遼の間で繰り広げられた「黄帝の真の子孫はどちらか」
という血統の正統性を巡る興味深い政治的駆け引きが大宋宮詞31話に描かれていたので取り上げます。
事の発端:耶律留守の黄帝参拝宣言
遼の重臣である耶律留守が新鄭で黄帝を参拝すると宣言したことから、この政治的緊張が始まった。
一見すると単なる宗教的行為に思えるが、これは実は極めて政治的な意味を持つ行動だった。
黄帝は中国皇帝の始祖と考えられているため、遼の皇帝が黄帝を参拝すれば、
遼の皇帝こそが黄帝の真の子孫であり血統の正統な継承者であることを内外に示すことになる。
つまり、宋皇帝ではなく遼皇帝が黄帝の血を受け継ぐ正統な皇帝だと宣言することになるのだ。
これに対して宋の朝廷は深刻な危機感を抱いた。
宋皇帝の苦悩と「失地の皇帝」という概念
宋の皇帝趙恒は、この事態を受けて冠を脱ぎ、先祖に謝罪するため太廟に籠もった。
しかし実は、宋にとってこの状況は一つの「切り札」でもあった。
なぜなら、もし遼皇帝が黄帝の真の子孫だと主張するなら、
遼皇帝を「失地の皇帝」として侮辱できるからだ。
「失地の皇帝」とは、
領地を与えられなかった、または領地を失った皇帝のことを指す侮辱的な言葉である。
もし遼皇帝が本当に黄帝の子孫ならば、
黄帝を祀る新鄭は本来遼皇帝が治めるべき先祖の土地のはずだ。
しかし現実には新鄭は宋の領土である。
つまり遼皇帝は黄帝から受け継ぐべき領地を宋に奪われてしまった情けない皇帝、
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すなわち「失地の皇帝」ということになる。
この皮肉な論理により、宋は遼皇帝を侮辱することができるのだった。
巧妙な解決策:鳳袍という外交手段
宋は耶律留守を引き止めるため、巧妙な策を講じた。
鳳袍を仕立てるという名目で5日間の猶予を求めたのである。
鳳袍とは身分を表す宮廷衣装で、
鳳凰や牡丹などの花柄を主なモチーフとした貴婦人や妃の衣装である。
黄帝は衣冠の様式を定めた人とされているため、
遼の最高権力者である皇太后に宮廷衣装を送るというのは、
黄帝への敬意を示しつつ外交的な解決を図る絶妙な口実だった。
この提案に耶律留守は了承し、参拝を延期することとなった。
文明の父としての黄帝
黄帝が皇帝の始祖として崇敬される理由は、その多岐にわたる文明への貢献にある:
- 臼と杵を作り、米の殻をむいて食べることを教えた
- 粘土を焼いて陶器を作り、水を汲む道具や城壁を築いた
- 病気の治療を民衆に教え、医学の最高傑作「黄帝内経」を完成させた
- 漢方薬の調合技術を教えた
- 衣服や冠を作った
- 船や乗り物を作った
- 音楽を創造した
このように黄帝は単なる統治者ではなく、
中国文明の基礎を築いた文化英雄としての側面を持っている。
だからこそ、その血統を継ぐ者こそが真の皇帝であるという考えが生まれたのである。
おわりに
宋と遼の間で繰り広げられた黄帝の子孫を巡る攻防は、
中国における皇帝制度の本質を浮き彫りにしている。
皇帝の権威は単なる軍事力や経済力だけでなく、
血統の正統性という文化的・宗教的な基盤に深く根ざしていたのである。