ドラマティックな出会い
ドラマ「三国機密」では、曹丕と甄宓の出会いが非常にドラマティックに描かれています。逃亡中の曹丕が謎の美女に助けを求められ、彼女の配下と思われる兵士に囲まれて連行されるという展開は、まさに運命的な出会いを演出しています。
この美女こそが袁紹の次男・袁煕の妻である甄宓でした。彼女は屋敷を抜け出して追われている最中で、その時曹丕に手巾を渡します。この手巾は、後の展開において重要な意味を持つアイテムとなります。
司馬懿の策略
物語の中で司馬懿は、甄宓が密かに曹丕に好意を抱いていることに気づきます。この心情を利用して、曹丕を使って甄宓を騙し、通行許可状を手に入れようと画策します。これは司馬懿らしい狡猾な計略といえるでしょう。
屋敷に忍び込んだ曹丕は、許可状を得るために甄宓を必死で口説きます。しかし、甄宓から接吻を迫られると、思わず避けてしまうのです。これでは作戦は成功しません。
「発乎情 止乎礼」- 古典教養の披露と意味の転用
この状況を釈明するために、曹丕は「発乎情 止乎礼(fā hū qíng zhǐ hū lǐ)」という言葉を述べます。そしてこの言葉の後、彼は熱烈な接吻をするのです。
この場面での意味: 「情愛に駆られても、礼儀を守らねばならない」 (恋愛感情において、情熱に流されて礼を逸脱してはならない)
しかし、これは感情に負けた行動ではありません。まだ青年で初々しい曹丕は、自分の戸惑いを甄宓に見透かされてしまったと感じ、大人の計略に長けた人間であることを示そうとして接吻したのです。彼の心は甄宓にあるわけではなく、あくまで任務遂行のための演技でした。
この場面の真の見せ場は、曹丕が詩経からの引用を自然に口にする古典的教養の深さにあります。若い彼が咄嗟にこのような高度な文学的表現を使えることで、単なる武人ではない知識人としての一面が際立って描かれています。
詩経における本来の意味との違い
興味深いことに、この「発乎情 止乎礼」は詩経の一節から来ていますが、本来の意味は個人的な恋愛感情とは全く異なる、政治的・社会的な含意を持っていました。
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詩経における本来の意味: 「民は感情に感化されやすいものである。それを適正に導き止めるのが王の役目である」 (統治者が民衆の感情を適切にコントロールし、正しい方向へ導くべきという政治哲学的教え)
ドラマでの転用された意味: 「情愛に駆られても、礼儀を守らねばならない」 (個人的な恋愛における理性と感情の葛藤)
このように、本来は統治論であった語句が、個人的な感情論として使われているのです。曹丕の深い教養が、古典を現代的(当時的)な恋愛の文脈で機知に富んだ形で引用できることを示しており、これこそがこの場面の文学的な見どころとなっています。
青年曹丕の心理描写
この場面で描かれているのは、まだ青年期の曹丕の複雑な心理です。初々しい彼は自分の動揺を甄宓に見透かされてしまったと感じ、咄嗟に大人びた計略家として振る舞おうとします。熱烈な接吻は感情の発露ではなく、任務を成功させるための演技的な行動なのです。
古典教養の重要性
この場面の真の価値は、曹丕の深い古典教養にあります。詩経からの引用を自然に使いこなせることで、彼が単なる武将の息子ではなく、高度な文学的素養を持つ知識人であることが示されています。この教養こそが、後に魏の文帝として君臨する曹丕の器量を予感させる重要な要素となっています。
「発乎情 止乎礼」という語句を用いることで、脚本は曹丕の知的な側面と、彼がまだ経験不足な青年であるという二面性を巧妙に表現しているのです。
まとめ
ドラマ「三国機密」における曹丕と甄宓の出会いの場面は、古典教養を持つ青年の成長過程を描いた秀逸なシーンです。「発乎情 止乎礼」という詩経からの引用は、曹丕の深い学識を示すと同時に、まだ経験不足な青年が大人の世界で生き抜こうとする姿を象徴的に表現しています。
本来の政治哲学的意味から恋愛の文脈での使用への変化も興味深いですが、より重要なのは、この古典的表現が曹丕という人物の知的な魅力と人間的な未熟さの両面を同時に浮き彫りにしていることです。古典の教養こそが、後に文帝として名を残す曹丕の本質を予感させる、脚本の巧妙な演出といえるでしょう。



