子供のいない趙恒(ちょうこう)は冀(き)王・元フンの子供たちの様子を見に行く。そこで冀(き)王・元フンの三男が大学を一生懸命暗唱しているのを聞きます。「格物知至」とは何かと問うたところの答えに失望し、未来の皇帝にはできないと劉娥に語ります。
大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善。
dà xué zhī dào 、 zài míng míng dé 、 zài qīn mín 、 zài zhǐ yú zhì shàn 。
立派な人間になるということは、明徳を明らかにすることにある、人民をその明徳と親しくさせることにある、そして、至善の境地に至って止まり続けるということにある。
知止而后有定、定而后能静、静而后能女、安而后能慮、慮而后能得。
至善の境地に止まることを知った後、心が定まるということがある。心が動揺せずに定まって後、静かな境地に行き着く。静かな境地に辿り付いた後、心身は安らかとなる。心身が安らかになった後、物事に対する思慮を働かせられる。物事に対して思慮深くなった後に、得るべきもの(徳)を得ることができる。
物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣。
古之欲明明德於天下者、先治其國。
古代の明徳を天下に対して明らかにしたいという者は、まず(天下よりも先に)その国をよく治める。
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欲治其國者、先齊其家。
その国をよく治めたいという者は、まず(国よりも先に)自分の家族を整える。
欲齊其家者、先脩其身。
その家を秩序ある形で整えたいという者は、まず(家よりも先に)自分自身の身・道徳を修める
欲脩其身者、先正其心。
欲正其心者、先誠其意。
欲誠其意者、先致其知。
その意志を誠実にしたいという者は、まず(意志よりも先に)その知を高めようとする
致知在格物。物格而后知至。
知を高めるとは、物・事物の仕組みや原理原則を理解するということにある
知至而后意誠。
意誠而后心正。
心正而后身脩。
身脩而后家齊。
家齊而后國治。
國治而后天下平。
格物知至について述べよと聞かれたらなんと答えれば良かったのか
その意味について問われた場合、
君子として基本教養の六芸格物(礼儀、音楽、弓術、馬車を操る術、書道、算術)を習得することによって、致知(物・事物の仕組みや原理原則・本質の理解)に至ること が答えになります。
そして、致知に至れば、誠実な意志を持って心を正しくすることができ、身体を鍛え、家族を整え、国を治め、天下を平和にすることができます。
つまり、「格物知至」は、人間がより良い生き方をするために必要な、物事の本質を理解することを目指す教育・修養の原理といえます。
「格物知至」を「万物の仕組みを理解する事」と答えたのは、漢文読解の試験としては正解なのですが、趙恒はもっと踏み込んだ答えを期待していたわけです。