パフラヴァン・マフマド廟とは
4月30日ヒヴァ観光です。
パフラヴァン・マフマド廟は、今回私の一番好きな所でした。
パフラヴァン・マフマドの墓は、ウズベク人、トルクメン人、カラカルパク人、などによって神聖な場所と見なされてきました。
彼は、聖人とされましたので、14〜20世紀歴代のハーンの墓もその隣にあります。
私もここで、ガイドさんと共に祈りを捧げました。
パフラヴァン・マフマドとは
マフムド(1247-1326)は、普通の職人から生まれた地元の詩人であり、戦士でした。
彼は、革職人でもあり、人々を癒す能力も持っていました。
彼は、インドが攻めてきた時、インドの王を撃退しました。
負けたインドの王は、彼に望むものを与えると言いました。
パフラヴァン・マフムドはこう答えました。
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「私の同胞を刑務所から解放してください。」
インドの王は「わかった。何人解放すれば良いのか」と尋ねました。
彼は、「牛の皮に収まるすべての者を釈放してください」と答えました。
インドの王は、ほくそ笑みました。牛の皮で包めるほどの人間は一人か二人だろうと。
しかし、彼は牛1頭分の皮を細く切り、つなげて一つの大きなベルトにしました。
そして捕えられていた全員を長いベルトで囲いました。
こうして多くの人々が奴隷状態から解放されたのです。
彼は奢ることなく、静かに生涯を閉じました。
そして自分の革工房に埋葬するように遺言を残しました。
彼の死後、イスラム教の聖職者たちは彼を聖人としました。
時が経つにつれ、この場所は尊敬される巡礼地となり、後に彼の名を冠した施設が建設されました。
そして彼は、街の守護神として崇められるようになりました。