4月30日 ヒヴァ観光にて
今回のヒヴァ観光で、私が最も心を打たれた場所がありました。それが「パフラヴァン・マフマド廟」です。
この廟は、ウズベク人、トルクメン人、カラカルパク人など、多くの民族によって神聖な場所として崇められてきました。パフラヴァン・マフマドが聖人とされたため、14〜20世紀の歴代ハーンの墓もその隣に安置されています。
私もここで、ガイドさんと共に祈りを捧げました。静寂に包まれた神聖な空間で、深い平安を感じることができました。
パフラヴァン・マフマドとは何者だったのか
マフムド(1247-1326)は、決して高貴な出自ではありませんでした。普通の職人の家に生まれた彼は、地元の詩人であり、同時に勇敢な戦士でもありました。
彼の本職は革職人。しかし、それだけではありません。人々を癒す不思議な能力も持っていたと伝えられています。
伝説となった知恵の物語
彼の名を歴史に刻んだのは、インドが攻めてきた時の出来事でした。
パフラヴァン・マフムドは見事にインドの王を撃退しました。敗北したインドの王は、彼の勇敢さに敬意を表し、「望むものを与えよう」と申し出ました。
このとき、パフラヴァン・マフムドが答えた言葉が素晴らしいのです。
「私の同胞を刑務所から解放してください。」
インドの王は尋ねました。「わかった。何人解放すれば良いのか。」
彼の答えは実に巧妙でした。「牛の皮に収まるすべての者を釈放してください。」
インドの王は内心ほくそ笑みました。牛の皮で包めるほどの人間など、せいぜい一人か二人だろうと。
広告
ところが、パフラヴァン・マフムドの知恵はここから発揮されます。彼は牛1頭分の皮を細く切り、つなげて一つの長大なベルトを作りました。そして、捕らえられていた人々全員を、その長いベルトで囲んだのです。
こうして多くの人々が奴隷状態から解放されました。この機転の利いた解決法は、今でも語り継がれる美しい逸話です。
聖人への道のり
偉大な功績を成し遂げたにもかかわらず、パフラヴァン・マフムドは決して奢ることなく、静かに生涯を閉じました。
彼は自分の革工房に埋葬するよう遺言を残していました。質素で誠実な生き方を最後まで貫いたのです。
彼の死後、イスラム教の聖職者たちは彼を聖人として認めました。時が経つにつれ、この場所は人々に尊敬される巡礼地となり、後に彼の名を冠した美しい廟が建設されました。
そして今日に至るまで、パフラヴァン・マフマドは街の守護神として人々に愛され続けています。
旅人として感じたこと
この廟を訪れて、私は深く感動しました。権力や富を求めるのではなく、人々のために尽くし、知恵と勇気で困難を乗り越えた一人の人間の物語。それが何百年もの間、多くの民族に愛され続けている理由がよく分かりました。
ヒヴァを訪れる際は、ぜひこの聖なる場所に足を運んでみてください。きっと心に残る特別な体験となるはずです。