「行きては至る。水極まる所。座して見る。雲起こる時」
「行到水窮処、坐看雲起時」とは、唐の詩人である王維の「終南山」詩の中の句です。
この詩句は、最初、第4皇子がヒロインに宛てて送っています。
一見、皇位争いから身を引いて自然の中に身を置くと言っているようですが、彼の皇位争いに勝利するぞという決意の表れとも取れます。
後半、ヒロインは何度も何度もこの詩を書いています。
私は、彼女の自己探究の詩ではないかと思います。
最初彼女は、現代の北京で恋人と派手な喧嘩をしていただけで深く自己を考えてはいなかったのです。
それが、第8皇子との恋愛、第4皇子との愛、歴史の大変動を通じて、彼女自身も成長していったと思います。
第4皇子の決意と解釈すると
「行到水窮処」
水の果て、すなわち川や海が終わるところまで行く。
目的地や目的に向かって進んでいれば、必ずその場所や目標に到達する
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「坐看雲起時」
そこに座って、雲が湧き上がるのを眺める。
物事をじっくりと眺めることでの発見や気付きがある。
雲が起こる時(康熙帝の崩御)に向かって行動を起こす
ヒロインの自己探求の旅と解釈すると
「行きては至る。水極まる場所」
流れるように、物事が進行していった。水はどこかに集まる。集まる場所があるということは、物事には摂理があるのではないか。
「座して見る」「雲起こる時」
今までの出来事を静かに観察し、じっくりと考えてみよう。自分にはどんな発見や気付きがその時々あっただろうか。
一瞬一瞬の人生の変化や美しさ、
恋、愛、友情、権力闘争。
皇子たちをはじめ出会った人々。皆精いっぱい生きて、美しかった。
しかし、それらは移ろい。景色は変わっていった。
無限なものは何なのだろうか。