皇帝の最期と壮絶な身代わり計画
ドラマ「三国志 Secret of Three Kingdoms」では、漢の最後の皇帝劉協の死は、皇后伏寿によって秘匿された。漢王朝の命運がかかった、前代未聞の計画が始まろうとしていた。
宦官の衣服を着せられて宮殿に呼ばれた楊平。そこで彼が目にしたのは、血文字で書かれた「弟・劉平に帝位を譲る」という詔書だった。自分が劉協の身代わりとして皇帝に立てられることを知った楊平。
もし劉協の崩御が公になれば、漢王朝は完全に終焉を迎える。そこで劉協が生前に立てていた計画こそ、双子の弟楊平に漢王朝再興の役目を託すという、まさに最後の賭けだったのである。
皇后伏寿の壮絶な覚悟
伏寿は劉協の遺体を宦官に見せかけるため、自ら皇帝の男性器を切り取り、宦官の衣服を着せた。この行為の凄まじさに、楊平は「先帝を宦官として埋葬されてもいいのか」と問いかける。しかし伏寿の答えは明確だった。「それも劉協の考え通り」なのだと。
伏寿と劉協は、婚礼の日、14歳同士で漢王朝再興を血の盃で誓い合っていた。その誓いを最期まで貫こうとする二人の絆は、皇帝としての尊厳すら超越していたのである。
計画の破綻と真実の露見
宮中に火を放ち証拠隠滅を図ったものの、満寵が火中から焼死体を運び出してしまう。満寵は遺体の状況から、この「宦官」が実は宦官ではなかったことを見抜いてしまった。通常の宦官は陰茎のみの切除だが、(伏寿はそこまで知らなかったので、)この遺体は睾丸を含めて完全に切除されていたからである。さらに死因が焼死ではなく病死であることまで判明してしまう。
忠臣張宇の悲痛な叫び
18年間劉協に仕えた宦官張宇は、楊平が別人であることを即座に見抜いた。劉協の死を知らされた張宇は泣き崩れ、主君の遺体奪還を決意する。楊平は「必ず兄上の霊廟を建てお祭りする」と約束したが、現実は厳しかった。
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遺体を火葬することはできたものの、遺灰を持って許都を出ようとした張宇を満寵が待ち構えていた。もはや絶望的な状況で、張宇は泣きながら地面を素手で掘り起こし、なんとか主君の遺灰を埋葬しようとする。
漢代の皇帝は巨大な陵墓に豪華な副葬品とともに埋葬されるのが常だった。その皇帝が、人里離れた場所にひっそりと打ち捨てられる—これほどの屈辱があろうか。
詩経『采薇』に込められた悲哀
この絶望的な場面で張宇が口ずさんだのが、詩経「采薇」の一節である。
昔我往矣,杨柳依依。今我来思,雨雪霏霏。
行道迟迟,载渴载饥。我心伤悲,莫知我哀!
あの頃を思い出す。春の頃、柳が美しくたなびく頃出征した。
でも戦い敗れて、雨と雪が容赦なく私に降りつける。
足取りは重く、故郷への道は果てしなく遠く感じる。
私は喉が渇き、餓えに苦しんでいる。
私の心は悲しい。けれど、誰も私の悲しみを知らない!
この詩は本来、出征した兵士が敗戦の中で故郷を思う歌だが、張宇の境遇と重なる深い悲しみが込められている。春の美しい柳の下で出征した時の希望に満ちた気持ちと、雨雪の中を敗走する現在の惨状。その対比が、漢王朝の栄華と現在の没落を象徴している。
ドラマが描く忠義と悲哀
張宇の慟哭は、単なる個人的な悲しみではない。それは漢王朝四百年の歴史の終焉に対する嘆きであり、理想と現実の残酷な乖離に対する絶望である。「莫知我哀(誰も私の悲しみを知らない)」という詩句は、
張宇という忠臣の最期の行動を通して、時代が変わろうとも変わらない人間の忠義心と、それが報われない現実の残酷さを私たちに示している。