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「宮廷女官 若曦」14皇子の悲痛な詩「六州歌頭」に込められた想いとは

九王奪嫡の敗者・14皇子の無念を描いた感動シーン

中国ドラマ「宮廷女官 若曦(步步驚心)」の最終話で、多くの視聴者が涙した名場面があります。それが、第14皇子が若曦の前で詩を朗読するシーンです。

なぜ14皇子は若曦と密室に?雍正帝への当てつけの真相

康熙帝の後継者争い「九王奪嫡」に敗れた第14皇子。彼は剣舞を舞った後、わざと若曦と親密な様子を見せ、一緒に部屋に入ります。

これは雍正帝(第4皇子)への当てつけでした。

部屋で14皇子は、胸に秘めた苦しみと無念を、ある詩に託して若曦に語りかけます。

14皇子が朗読した詩「六州歌頭·少年侠気」の意味

原文と読み方

少年侠気,交結五都雄。肝胆洞,毛発耸。立談中,死生同。一諾千金重

現代語訳(意訳)

若き日の私は義侠心に満ちていた
各地の英雄や権力者と友情を結び、
誠実さと勇気をもって人々に接してきた。

不正を見れば正義感から激怒し、
仲間と共に立ち上がり、語り合い、生死を共にすると誓った。
その誓いは千金にも値する重さだった。

この詩に込められた14皇子の本当の気持ち

14皇子の悲劇:なぜ彼は皇帝になれなかったのか

康熙帝に最も愛された息子だった14皇子。彼は:

  • ✅ 父母から深く愛され
  • ✅ 正義感に満ちた立派な人物として育ち
  • ✅ 次期皇帝として期待されていた

しかし運命は残酷でした。

辺境で将軍として戦っている最中に父・康熙帝が崩御。急いで都に戻った時には、すでに第4皇子(雍正帝)が即位していたのです。

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遺詔改ざん疑惑と14皇子の絶望

今でも歴史上の謎として語られるのが、**「康熙帝の遺詔が書き換えられたのではないか」**という疑惑です。

本来は「伝位十四子(位を第14皇子に伝える)」だったものが、「伝位于四子(位を第4皇子に伝える)」に改ざんされたという説もあります。

派閥の仲間も自分も徹底的に排除された

皇位争いで共に戦った仲間たち:

  • 第8皇子 – 投獄・降格
  • 第9皇子 – 投獄・降格
  • 第10皇子 – 軟禁

そして14皇子自身も、辺鄙な土地に追いやられ、一切の政務を任されることはありませんでした。

「私が何をした…」14皇子の心の叫び

詩の朗読シーンで伝わってくるのは:

「私が何をしたというのだ…どうして、私が何をしたと言うのだ」

という、やり場のない怒りと悲しみ。

  • 正しく生きてきた
  • 父に愛され、期待されていた
  • 仲間と正義のために戦った

それなのに、すべてを奪われた。この理不尽さに対する14皇子の慟哭が、この詩には込められているのです。

まとめ:步步驚心が描いた権力闘争の悲劇

「六州歌頭·少年侠気」の朗読シーンは、単なる恋愛ドラマを超えて、権力闘争の犠牲となった人間の悲劇を描いた名場面として、多くの視聴者の心に刻まれています。

正義や誠実さだけでは生き残れない宮廷の非情さ。そして、歴史の敗者となった者の声なき叫び。

 

 

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