> ※この記事は、これまで「[玉圭・璧・鉞]」や「[鼎の軽重を問う]」でバラバラに触れてきた「祭祀の玉器」「礼楽」「軍事の鉞」が、もともと一つの制度のどこに収まっていたのか——その土台をまとめる、背骨の一篇です。鍵になるのが、儒教の古典『周礼(しゅらい)』が描く「六官制度」。古代中国が思い描いた、理想の“省庁”システムです。
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『周礼』とは何か
『周礼』は、『儀礼(ぎらい)』『礼記(らいき)』とともに「三礼(さんらい)」と呼ばれる儒教の古典で、十三経のひとつ。古来、西周の名宰相周公旦(しゅうこうたん)が著したと伝えられてきました。国家の政治・経済・軍事・法律・文化・教育の制度を、すみずみまで体系的に描いた——いわば、国家運営の「青写真」です。
> 史実への留保——「西周の記録」ではない ただし、慎重にいきたいところです。周公旦の作という伝承はあくまで建前で、現在の研究では、『周礼』は戦国時代から前漢にかけて、理想を込めて書かれた制度書と見るのが主流です。つまりこれは、「西周で実際にこう統治していた」という記録ではなく、「こう統治するのが理想だ」という設計図。だからこそ後世、この青写真を本気で“実装”しようとする王朝まで現れました(→後述)。理想だったからこそ、二千年も参照され続けたのです。
六官制度——国家を六つの役所に分ける
『周礼』のいちばんの特徴が、国家の機能を六つの部門に分けた「六官(りっかん)」です。それぞれが、天地と四季に対応づけられていました。
– 天官・冢宰(ちょうさい)——「治」。行政全体を統べる最高責任者(宰相にあたる)。
– 地官・司徒(しと)——「教」。土地・戸口の管理と、民の教化・民政。
– 春官・宗伯(そうはく)——「礼」。祭祀・礼楽・宗教・文化。
– 夏官・司馬(しば)——「政(軍)」。軍事と軍政、国の防衛。
– 秋官・司寇(しこう)——「刑」。司法・刑罰・取り締まり。
– 冬官・司空(しくう)——「事」。土木・工事・ものづくり。
天が万事を統べ、地が民を養い、春が礼を整え、夏が国を守り、秋が罪を裁き、冬が物を作る——自然の巡りに、国家の仕事を写し取ったのです。現代の内閣(総理府・内務・文化・防衛・法務・国土)の原型とも言える、驚くほど合理的な分業でした。
> 豆知識——失われた「冬官」 じつは、現存する『周礼』には、冬官・司空の部分が欠けています。早くに失われてしまい、漢代に、技術や工芸の規格を記した「考工記(こうこうき)」という別の文章を、穴埋めとして差し込んだのです。だから今の『周礼』の最後の巻は、司空の制度ではなく考工記になっている。——完璧な青写真にも、こうして“欠けた一片”があるのが、かえって人間くさいところです。
春官・宗伯——祭祀と礼楽の、最高責任者
ここからが、この制度の“顔”です。まず春官・宗伯。これは、国家の祭祀と文化・精神面の最高責任者でした。大宗伯を頂点に、天地の神々への祭祀、祖先を祀る儀式、暦の制定、そして音楽・舞踊・学問・礼節の教育までを束ねます。
じつは、このブログで何度も登場してきた“あの道具たち”は、みなこの春官の管轄でした。天を祀る蒼璧、地を祀る黄琮といった六器(ろっき)——天命を可視化したあの玉器たち(→「[玉圭・璧・鉞]」「[和氏の璧]」)も、身分ごとに舞の人数を定めた八佾(はちいつ)の礼楽(→「[鼎の軽重を問う]」)も、すべて大宗伯のもとにありました。「祭祀で天とつながり、礼楽で身分を可視化する」——目に見えない権威を運用する役所が、春官だったのです。
なぜ「春」なのか。古代中国で、春は万物が芽吹き、育つ季節。教育や文化という「人を育てる営み」を司る役所には、この生成の季節がふさわしいと考えられたのでしょう。
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夏官・司馬——軍事をつかさどる役所
そして、もう一つ大事なのが夏官・司馬。これが、軍事をつかさどる役所です。国の防衛、軍の統率、兵の動員——「[玉圭・璧・鉞]」で見た軍事権の象徴鉞(えつ)も、「[虎符とは何か]」で見た出兵の割り符虎符も、本来はこの司馬の世界の道具でした。圭璧が春官(礼)のものなら、鉞と兵は夏官(司馬)のもの。軍権はこの夏官に属していたのです。なぜ「夏」かといえば、草木が勢いよく茂る、最も力に満ちた季節だから——武の旺盛さに、ふさわしい配当でした。
> 豆知識——「司馬」は、こうして名字になった この「司馬」という官職、じつは後世、そのまま名字になりました。軍事の家系が、官名を姓として名乗ったのです。『史記』を著し、まさに「[信陵君]」の伝を書いた歴史家司馬遷(しばせん)。そして三国時代、魏を乗っ取り晋を建てた司馬懿(しばい)の一族(→「[曹丕]」の魏のその後)。どちらも、もとをたどれば、この夏官・司馬に行き着きます。同じように、司徒・司空・司寇も名字になりました。役所の名が、二千年後の人の名前として生きている——制度が、いかに深く根を張ったかが分かります。
私の見立て——青写真を、本気で“実装”した王朝たち
『周礼』が面白いのは、それが単なる机上の理想で終わらなかったことです。この青写真を、本気で現実の政府に作り変えようとした人々がいました。
前漢を簒奪した王莽(おうもう)は、『周礼』を理想として、官制も土地制度も周の昔へ戻そうとしました(結果は大混乱でしたが)。
そしてもう一つ——南北朝の北周(ほくしゅう)です。「北“周”」という国号自体がそうであるように、宇文泰(うぶんたい)と参謀・蘇綽(そしゃく)は、西魏〜北周の政府を、まさに『周礼』の六官制に作り替えました。天官・大冢宰を頂点とする、あの六つの役所を、現実に置いたのです。
ここで、シリーズの糸がつながります。このブログで書いた北周の権臣[宇文護]——彼が握っていた最高位こそ、六官の頂点「大冢宰(天官)」でした(→「[独孤般若と宇文護]」)。そして、その北周を支えた[独孤信]ら関隴の武人たちは、まさに夏官・司馬の世界に生きた人々です。『周礼』という戦国・前漢の理想の設計図が、数百年後、北周という現実の国家の骨組みになり、やがて隋・唐へとつながっていく——理想の青写真は、確かに歴史を動かしていたのです。
まとめ
『周礼』の六官は、「西周はこうだった」という記録ではなく、「国とはこう治めるべきだ」という、古代中国の理想の設計図でした。天が統べ、地が養い、春が礼を整え、夏が守り、秋が裁き、冬が作る。圭や璧は春官(礼)に、鉞や兵は夏官(司馬)に——これまでバラバラに見てきた権威の道具たちは、みなこの六つの役所のどこかに、きちんと収まっていたのです。そして、この青写真は、王莽や北周の手で、ときに現実の政府にまでなった。理想として書かれた一冊の本が、二千年、人々が国家を考えるときの“原点”であり続けた——それが、『周礼』という古典の、静かな凄みなのだと思います。
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◀ 春官(礼)の道具:[玉圭・璧・鉞(祭祀の六器)] | [和氏の璧(璧)] | [鼎の軽重を問う(礼楽・八佾)]
◀ 夏官(司馬=軍事)の道具:[虎符とは何か(出兵の割り符)] | [信陵君(司馬遷が書いた英雄)]
◀ 六官を“実装”した王朝:[宇文護(北周の大冢宰=天官)] | [独孤信(関隴の武人)]
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