札幌時計台は現在はビルの谷間にあります。
気の毒にも、がっかり名所に選ばれてしまったそうです。けれども 作られた当時は村のどこからも時計が見られ、 東西南北の方向を示していました。
クラーク博士の学校として作られました。
現在の札幌からは思いもよりませんが。当時の札幌は2500人の村人しかいませんでした。
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当時はもちろん電気もなかったはずです。 見渡す限りの平原で、 電波も飛んでいない、水力もない、どうやって時計が動いたのでしょうか。
石の重みで滑車が下り、 それで歯車が回り時計が動く。 滑車が下がりきってしまったら、巻き上げてまた元の 位置に戻す。 現在もそうやって動かしているそうです。
これはインフラの整っていない開発途上国等で使える技術だと思いました。