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阪急交通社e-everyウズベキスタン7日間 イチャンカラ タシュハウリ宮殿
4月30日、ヒヴァ観光です。 イチャンカラの東側にある宮殿に行きました。写真は王様の寝室です。 南側は、公的な場所で、外交内政が行われていました。 王が客人を謁…
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阪急交通社e-everyウズベキスタン7日間 ウルゲンチ ホラズム・シャー王国 イチャンカラ
4月29日、キジルクム砂漠を抜けて、アムダリア川を渡るとそこはウルゲンチ。 ジャラールッディーン・メングベルディーの騎馬像がお出迎えです。残念ながら写真が撮れま…
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阪急交通社e-everyウズベキスタン7日間 アヤズカラ・ユルタキャンプとアヤズカラ
アヤズカラ・ユルタキャンプ 4月29日、トプラクカラから車で30分でアヤズカラ・ユルタキャンプに到着しました。 アヤズカラはここから15分歩いた山の上にあります…
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阪急交通社e-everyウズベキスタン7日間 キジルカラ トプラクカラ アムダリア川都市国家の遺跡
上記写真はトプラクカラです キジルクム砂漠 4月29日、ヌクスから南東に向けて砂漠に入っていきます。 カラカルパクスタンの砂漠はこんな感じ 砂というよりは礫岩が…
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阪急交通社e-everyウズベキスタン7日間に参加して タシケントからカラカルパクスタン共和国ヌクス
阪急交通社e-everyとは 海外個人旅行のブランドです。 自分の旅行日程が、催行決定の団体ツアーに合わせられないとか、 大勢の団体だと、自分の好きな所を時間を…
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清朝末期から満州国期に至る肅親王家
肅親王家の歴史的地位 肅親王家は、清朝の二代目皇帝ホンタイジ(皇太極)の系統に連なる名門宗室である。 この系譜は清朝の中でも特に重要な位置を占め、歴代の肅親王…
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ウズベキスタンの歴史
紀元前10世紀 イラン系遊牧民が現在のサマルカンドとブハラなどの町を建設 紀元前7世紀ごろよりシルクロード交易路として発展 紀元前328年 アレクサンドロス大王…
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李白「將進酒」qiang jin jiu ピンインと解説 古代中国語”將 “は “誘う “ 空月は後悔の比喩
將はJiangなのかqiangなのか問題 將進酒”の “將 “は “誘う “という意味で、̶…
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王翰wáng hàn(おうかん) 凉州词 解説、意訳とピンイン
王翰 凉州词 葡萄美酒夜光杯,欲饮琵琶马上催。 pú táo měi jiǔ yè guāng bēi , yù yǐn pí pá mǎ shàng cuī …
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清朝最後の実力者・恭親王家の栄光と没落
北京にある恭王府の主は、恭親王(きょうしんのう)、清朝後期の重要な皇族でした。 最も有名な恭親王は愛新覚羅奕訢(あいしんかくらえききん、1833-1898年)で…
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二つの運命 – 中華人民共和国における醇親王家と肅親王家の処遇の違い
中華人民共和国建国後の満州族政策の変遷は、以下のような流れで進みました 初期の排除から統合へ 当初、革命派は満州族全体を排除する方針でした しかし後に「五族共和…
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清朝最後の改革者 – 肅親王善耆の生涯
近代中国史において、伝統と改革の狭間で奮闘した人物として、肅親王善耆(1866年-1922年)の名を挙げることができます。今回は、この清朝末期の重要な改革者につ…