はじめに
中国の人気宮廷ドラマ「宮廷の諍い女(甄嬛伝)」をご覧になった方なら、純元皇后と宜秀皇后という印象的なキャラクターをご記憶でしょう。実は、この二人の皇后は、いずれも清朝雍正帝の正妻である孝敬憲皇后ウラナーラ氏をモデルに創作されたキャラクターです。ドラマでは宮廷闘争を際立たせるために一人の人物を二つに分けて描いたのです。
今回は、この実在した皇后の波瀾万丈な生涯をご紹介します。
幼き日の政略結婚
**孝敬憲皇后ウラナーラ氏(1682年-1748年)**は、満州正黄旗の名門に生まれました。父は内務府大臣の費揚古で、生まれながらにして高貴な身分でした。
驚くべきことに、彼女はわずか10歳という幼さで、当時13歳だった雍正帝(まだ皇子時代)と結婚しました。1691年のことです。現代の感覚では考えられませんが、当時の皇室では珍しいことではありませんでした。
有能な「内助の功」
ウラナーラ氏は幼いながらも、非凡な管理能力を発揮しました。雍正の邸宅全体の事務を整然と取り仕切り、その手腕は康熙帝からも高く評価されました。康熙帝は彼女を「知識と孝行に優れる」と褒め称えたほどです。
16歳で長男・弘暉を出産し、結婚当初は雍正帝との関係も良好でした。しかし、雍正帝は次第に漢族の側室である李氏や年氏を寵愛するようになります。特に李氏は3男1女をもうけ、ウラナーラ氏の立場は微妙なものとなっていきました。
「九王奪嫡」での支え
康熙帝の晩年、皇位継承をめぐって九人の皇子が激しく争った「九王奪嫡」の時代。この政治的混乱の中で、ウラナーラ氏は雍正帝を献身的に支えました。
彼女は単なる妻としてだけでなく、戦略立案にも携わり、雍正帝が政治に専念できるよう尽力しました。この「賢明な内助の功」は、雍正帝からも深く敬意を払われていました。
息子の死という悲劇
しかし、運命は残酷でした。愛息・弘暉が早世してしまうのです。この悲しみ以降、ウラナーラ氏は二度と子供に恵まれることはありませんでした。
生物学的な母親になることを諦めた彼女は、雍正帝の他の妃嫔が産んだ子供たちの養育に専念します。「家で生まれた子供は皆、ウラナーラ氏の子供たち」という状況でした。
特に、後の乾隆帝となる弘暦の才能を見抜き、彼を大切に育てました。また、乾隆帝の実母であるニオフル氏(後の孝聖憲皇后)に対しても、格別の配慮を示したと記録されています。
揺るがない地位と影響力
雍正帝の邸宅には多くの女性と子供たちがいましたが、ウラナーラ氏の嫡妻としての地位は決して揺らぎませんでした。彼女の人徳と能力は、すべての人々から認められていたのです。
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皇后となってからの孤独
1722年、雍正帝が即位すると、ウラナーラ氏は当然のように皇后の座に就きました。しかし、皇后としての正式な即位式は、康熙帝の喪に服すため3年間延期されました。
さらに悲しいことに、彼女の父親が最初に受けていた公爵の爵位は、世襲特権として取り消されてしまいます。
皇帝の激務と皇后の孤独
雍正帝は「勤政皇帝」として知られるほど政治に熱心でした。1日の睡眠時間はわずか4時間、ほとんどの時間を政務に費やし、後宮を訪れることは稀でした。
皇后ウラナーラ氏にとって、これは深い孤独を意味していました。かつて共に困難を乗り越えた夫は、今や遠い存在となってしまったのです。
最後の別れ
1748年、ウラナーラ氏は51歳で重病に倒れました。しかし、あれほど多忙な雍正帝が彼女の病床を見舞ったのは、たった一度だけでした。
数十年間、雍正帝を支え続けた賢妻は、こうして静かにこの世を去ったのです。
創作に込められた作者の想い
ドラマ「宮廷の諍い女」で、ウラナーラ皇后が純元皇后と宜秀皇后という二つのキャラクターに分かれたのには、深い意味があるとおもいます。
純元皇后は、史実のウラナーラ皇后の献身的で賢明な側面を継承したキャラクターです。夫である皇帝を心から愛し、無私の愛で支え続ける理想的な妻として描かれています。彼女の純粋な愛は皇帝の心に永遠に残り続けるのです。
一方、宜秀皇后は、善良な仮面の下に野心と計算を隠し持つ女性として創作されました。表面上は慈悲深く見えながら、実際には宮廷で権謀術数をめぐらす複雑なキャラクターです。
作者は恐らく、史実のウラナーラ皇后があまりにも「完璧な賢妻」として記録されていることに、ある種の物足りなさを感じたのでしょう。現実の女性であれば、献身的であると同時に、自身の欲望や野心、嫉妬や愛憎といった人間らしい感情を持っているはず——そうした複雑で生々しい人間性を、二つのキャラクターに分けて表現したのではないでしょうか。
おわりに
ウラナーラ皇后の生涯は、まさに清朝宮廷女性の縮図と言えるでしょう。政略結婚から始まり、夫を支えながらも最終的には孤独の中で生涯を終える——この複雑で悲哀に満ちた人生が、「宮廷の諍い女」において、愛に生きた純元皇后と野心に生きた宜秀皇后という対照的な二人の女性に昇華されたのです。
史実では静かに耐え忍んだ一人の女性が、フィクションの世界では愛と野心という人間の根源的な感情を体現する二つの存在として、より華やかで人間臭く描かれました。これこそが、歴史を題材とした創作の醍醐味だと思います。